私のシーンは土曜日に集中していました。
あの時代と少しでも合うような衣装を用意してくれましたが、金曜日の役者達に先に使われていたので土曜日になると使えるものはほとんどありませんでした。
結局、朝のワンシーンだけに私が着ていたT-シャツをそのまま使っていましたが、
その以後男性用の一枚の白いシャツで撮影し続きました。
夜に都内に戻って、どこかのオフィスの撮影でやっと着られる別の一枚シャツを見つかりましたが、ズボンはありませんでした。スタッフが渡されたものを広げたらズボンですけど、スカートのように見えました。私は一瞬爆発しそうでした。
お洒落やかわいく作ってもらうつもりはありませんが、いくらなんでも、馬鹿らしく作る必要はないでしょう。あの時代といっても、こんな格好はありません。
撮影の現場では、監督の話は絶対的です。スタッフの方が意見を言わないものです。
しかし、何日も寝られずに目線もボーとしている監督の一人の頭ですべてうまく回るわけがありません。
撮影の間に、私は何回も監督にアドバイスをしましたが、監督が全部聞いてくれました。
ちょっとだけのアドバイス、監督を助けることになると私は思っています。
このぐらいことは日本人はできないのを承知しております。
ですから、私はズボンを気に入らず、一人で3階からおりて、ズボンを探しに行くとき、
スタッフ達が慌てて止めようとしていました。
「監督がOKだよ。」
「仕事ですよ。」
「暴れちゃだめよ。」
・ ・・・・
このぐらいのことで日本の皆さんは何を考えていらっしゃるでしょうか。
ただもう少し合うズボンを探すだけなのに、「監督を逆らって暴れている」と
思われていました。
これは私が以前に書いていた「交渉ぐらいで解決できることなのに、
日本の政治家にすれば、核兵器を使わないと解決できない」ということです。
ことの大きさが違いますが、性質が同じです。
イメージ作りのことで、ずっとメイクさんと交渉していました。
17歳のシーンのために二つの赤いゴムを用意しました。
メイクさんが「お洒落はしない、赤を使わない」と言っていました。
「お洒落のためじゃない、あの時代では赤い糸で髪の毛を結うのが普通でした。」
これでやっと説得して使ってもらいました。おばさんの格好して、
17歳の娘を演じさせても、役に近い私は思いません。
化粧やネイルなどすべて禁止でした。それが構いませんが、
ずっと疲れで浮腫みを取れない顔がどんなにしても、
可愛くならないと分かっているから、
ただ日本人が想像しているイメージは私達と違っていました。
二つのお下げを結うスタイルをワンシーンだけにして、そのあと、
監督は後ろで一つに結うように指示しました。
メイクさんが「そうなると、年齢がばらばらになるかもしれない」と言っていました。
「大丈夫」と監督が言いました。
これからのシーンは私がこの家に嫁いだばかりのシーンです。
まだ17歳ぐらいでつまり一番最初にでてくるシーンのはずです。
それならおかしいと思っていました。
それで私は臨機変更、おさげを右にパっと引っ張ってきました。
「監督、今のヘアスタイルがどうですか。」と聞きました。
(メイクさんに「ヘアスタイルを変えたよね」といわれたから)
監督は「どうしたの?」メイクさんは「さっき後ろにゆっていました。」
「私から見れば何の変わりもわりはありません。」
メイクさんはあきらめました、ほかのスタッフに「まあ、いい、いい、なんでもいい」
言いました。メイクさんはもっと自分がやりたいスタイルを言うべきだと私は思っていました。
これで私は40歳までずっとこのスタイルでした。
実はあの時代ではきちんと二つ結うのが普通でしたが、このスタイルのほうすごく変わっているお洒落でした。私は17歳までしたことがありませんでした。
多分これではっきり年齢の区別になっていないと思います。
けれどもこれ以上も求めてはいけません、日本人のスタッフたちは監督を含めて、
中国についてそれほど詳しくないし、いろいろな面で日本人の意識でこのドラマを作っています。
とうもろこし畑に囲まれて育った、そして、監督が思いつかないアドバイスをしていた私の背景に何があったかこの中の日本人が誰も想像つかないものでしょう。
これと同じように、一家楽しくとうもろこしを食べるシーンでは、私は昨日撮影で残したとうもろこしを見て、「とうもろこしを食べるとき、皮をきれいにむいて、蒸した後このかごに入れて出すのです。」と監督に話したら、
監督は「中国人はスイカなど食べないの?なんてとうもろこしばかりでしょう?」と聞かれました。
・・・・・おいおい、監督、中国のことを何にも理解していないじゃないですか?
yuyi
2011年7月20日