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スタッフブログ

2011.11.13 毛沢東が生き返った?  

最近ネットを通して中国のレテビを見始めました。

昨日の上海衛星チャネルで見たのは広州で

(中心から離れているようなところ。)民衆と公安部の衝突事件でした。

1人に妊婦が勝手にどこかで物を売っているため、

公安員に止められたら、喧嘩になって、1000人ぐらいの民衆が

あっという間に集まって、公安部と衝突したということでした。

ちょっとだけのことで、爆発の起爆剤になりそうなのは中国の現状

ではないかなと心配しています。

これは毛沢東と関係はありません。

その前に映画の予告の映像が流れていました。

まあ、中国を解放する直前のストーリです。

映画の中の毛沢東はこう言いました。

「富強、民主 統一の新しい中国を建設しましょう。」

(他のフレーズがありましたが、全部覚えていない)

一瞬に耳を疑いました。

毛沢東が台詞を変えましたね。

今まで似たような映画の中の毛沢東が同じ台詞をよく

言いました。

今回は「民主、統一」が増えたようです。

(私の記憶は間違えなければ。)

「民主」、共産党は一党独裁の元で民主を試もうとしているでしょうか。

経済と同じ、これまで誰も歩んだことの無い道を探っているではないかと

私はなんとなく直感しています。

民主主義の国はずっと共産党を批判してきました。

しかし、あれほど大きな国は日本のような「群龍無首」の「民主」

で治まるでしょうか。いいえ、無理でしょう。

今の世界は大不況なとき、中国が混乱してしまえたら、

決していいことではないでしょう。

独裁されて、幸せではありませんが、民主化になれば、

幸せになるとは限りません。独裁であれ、民主化であれ、安定することは、

一番の幸せではないででしょうか。

毛沢東の口を借りて、共産党の本音をアピールしているように

聞こえていますが、私の心からの願いもあります。

 2011613

2011.11.13 再現ドラマの撮影にて①

 久しぶりに書こうかなと思います。

今日は体がボーとして、動こうともしません。

実は金曜日と土曜日の二日間でまるで別の世界で生きていたように、

まだ戻ってきていない感じです。土曜日の夜家に着いたとき2時半でした。

再現ドラマの撮影に参加していたのです。

「アンビリバボー」の番組で、放送日はまだ確実に決まっていません。

今回のストーリはかなり複雑で、長いものです。

私は主役の奥さんの役で、2人の子供の母親で

17歳から40歳まで演じていました。(苦笑)

今でも貧しい河南省のストーリです。

時代に遡って、戦争が終わったごろからスタートしたものです。

つまり私のお婆ちゃんの世帯からのストーリです。

ストーリの内容をここでは明かしません。(笑)

撮影のことについて少し話します。

木曜日の朝に集合ということでしたが、車に乗ったら、

名前を呼ばれなかったため、私と主役の二人を帰らせられました。

つまり木曜日にシーンがないということでした。

代わりに台本をもらいました。

再現ドラマはほとんど台本を事前にもらうことはありません。

現場に行くと、監督に言うとおりにやるだけです。

私には役者を目指す志がありません。(実際も出来ない)

ただ気分転換のために、機会があればやって見たいだけです。

台本を読むとき、涙がぼろぼろ止まらないぐらい感動しました。

今回はまじめに取り組まないといけないと思い始めました。

(少し真剣にやるということです。)

撮影は茨城県のある昔の家を保存している観光ポストです。

この暑さで畑と冷房なしの部屋で撮影していました。

サウナのなかにいるような感じでしたが、コンクリートのない緑に囲まれた

ところの暑さと東京都内の暑さがちょっと違いますね。

スタッフの方々が何日も寝られずに続いていたそうです。

走り回っているスタッフはずっと雨に降られているように

汗が流れていました。

今回の撮影はいろいろな面で自分と重なっていました。

田舎生まれ育った私にはすべて懐かしかったです。

とうもろこし畑で働くシーンもありました。

そこの畑の草がとうもろこしより高くなっています。

あのとき、私たちの6人姉妹が朝に私たちより高いとうもろこし畑の

一方から入って、昼にもう一方からやっと出てきたことを思い出しました。

全部手で草を抜いていました。(一番下の妹が小学生でした。)

畑の仕事が私たちにとって、どれほどきついか想像できるでしょう。

けれども私の世代を言うまでもなく、私の親の世代の生活でも多分

このドラマより豊かだったはず。

yuyi

2011718

2011.11.13 再現ドラマの撮影にて②

私のシーンは土曜日に集中していました。

あの時代と少しでも合うような衣装を用意してくれましたが、金曜日の役者達に先に使われていたので土曜日になると使えるものはほとんどありませんでした。

結局、朝のワンシーンだけに私が着ていたT-シャツをそのまま使っていましたが、

その以後男性用の一枚の白いシャツで撮影し続きました。

夜に都内に戻って、どこかのオフィスの撮影でやっと着られる別の一枚シャツを見つかりましたが、ズボンはありませんでした。スタッフが渡されたものを広げたらズボンですけど、スカートのように見えました。私は一瞬爆発しそうでした。

お洒落やかわいく作ってもらうつもりはありませんが、いくらなんでも、馬鹿らしく作る必要はないでしょう。あの時代といっても、こんな格好はありません。

撮影の現場では、監督の話は絶対的です。スタッフの方が意見を言わないものです。

しかし、何日も寝られずに目線もボーとしている監督の一人の頭ですべてうまく回るわけがありません。

撮影の間に、私は何回も監督にアドバイスをしましたが、監督が全部聞いてくれました。

ちょっとだけのアドバイス、監督を助けることになると私は思っています。 

このぐらいことは日本人はできないのを承知しております。

ですから、私はズボンを気に入らず、一人で3階からおりて、ズボンを探しに行くとき、

スタッフ達が慌てて止めようとしていました。

「監督がOKだよ。」

「仕事ですよ。」

「暴れちゃだめよ。」

・・・・

このぐらいのことで日本の皆さんは何を考えていらっしゃるでしょうか。

ただもう少し合うズボンを探すだけなのに、「監督を逆らって暴れている」と

思われていました。

これは私が以前に書いていた「交渉ぐらいで解決できることなのに、

日本の政治家にすれば、核兵器を使わないと解決できない」ということです。

ことの大きさが違いますが、性質が同じです。

イメージ作りのことで、ずっとメイクさんと交渉していました。

17歳のシーンのために二つの赤いゴムを用意しました。

メイクさんが「お洒落はしない、赤を使わない」と言っていました。

「お洒落のためじゃない、あの時代では赤い糸で髪の毛を結うのが普通でした。」

これでやっと説得して使ってもらいました。おばさんの格好して、

17歳の娘を演じさせても、役に近い私は思いません。

化粧やネイルなどすべて禁止でした。それが構いませんが、

ずっと疲れで浮腫みを取れない顔がどんなにしても、

可愛くならないと分かっているから、

ただ日本人が想像しているイメージは私達と違っていました。

二つのお下げを結うスタイルをワンシーンだけにして、そのあと、

監督は後ろで一つに結うように指示しました。

メイクさんが「そうなると、年齢がばらばらになるかもしれない」と言っていました。

「大丈夫」と監督が言いました。

これからのシーンは私がこの家に嫁いだばかりのシーンです。

まだ17歳ぐらいでつまり一番最初にでてくるシーンのはずです。

それならおかしいと思っていました。

それで私は臨機変更、おさげを右にパっと引っ張ってきました。

「監督、今のヘアスタイルがどうですか。」と聞きました。

(メイクさんに「ヘアスタイルを変えたよね」といわれたから)

監督は「どうしたの?」メイクさんは「さっき後ろにゆっていました。」

「私から見れば何の変わりもわりはありません。」

メイクさんはあきらめました、ほかのスタッフに「まあ、いい、いい、なんでもいい」

言いました。メイクさんはもっと自分がやりたいスタイルを言うべきだと私は思っていました。

これで私は40歳までずっとこのスタイルでした。

実はあの時代ではきちんと二つ結うのが普通でしたが、このスタイルのほうすごく変わっているお洒落でした。私は17歳までしたことがありませんでした。

多分これではっきり年齢の区別になっていないと思います。

けれどもこれ以上も求めてはいけません、日本人のスタッフたちは監督を含めて、

中国についてそれほど詳しくないし、いろいろな面で日本人の意識でこのドラマを作っています。

とうもろこし畑に囲まれて育った、そして、監督が思いつかないアドバイスをしていた私の背景に何があったかこの中の日本人が誰も想像つかないものでしょう。

これと同じように、一家楽しくとうもろこしを食べるシーンでは、私は昨日撮影で残したとうもろこしを見て、「とうもろこしを食べるとき、皮をきれいにむいて、蒸した後このかごに入れて出すのです。」と監督に話したら、

監督は「中国人はスイカなど食べないの?なんてとうもろこしばかりでしょう?」と聞かれました。

・・・・・おいおい、監督、中国のことを何にも理解していないじゃないですか?

yuyi

2011720

2011.11.09 日本の皆さんお幸せですか 

目黒のスポーズクラブのプールから上がり、その足で恵比寿駅へ。

目の前の賑やかさに足を止められ、臨時的に行き先を変更し、そこに留まった。

「恵比寿駅前盆踊り」。

思わず踊りの列に加えた。

来日最初の夏にバイト先の日本人女の子から浴衣を借りて、うちわを

手にし、日本人と同じように国分寺のお盆祭りの人群れに加えて、

知らない浴衣姿の女の子と、知らない日本人男性と写真を撮った。

その写真をすぐに家族に送った。

それ以来、一度もお盆祭りに近づけたことはなかった。

もちろん踊るのは初めてだった。

朦朧な提灯の明かり、音楽、歌、台の上のダンサーの姿が平和のムードで

会場を包んでいた。

だんだん身も心もその中に溶け込んでしまった。

周りの日本人がみんな笑顔満面だった・・・

楽しそうに、幸せそうに、遠慮もなく、気遣いもなく・・・

嘘のなさそうな心からの幸せが見せくれた・・・

地震や津波、放射能、節電、洪水などのことが

この一時と何の関係もないようで、今はみんな楽しんでいた。

永田町の政治ごっこがまだ終わりそうもない、首を宙に吊られている

菅総理のしぶとさが本物なのか、次に日本のヒーローが現れるか

・・・・・・

形が完全に崩れた日本政治はこの平穏な時間と関係なさそう。

地震はまたいつ来るか、節電はいつまで終わるか、

放射はいつまで片付けられるか、日本の政治は日本を正しく導くか

狂っている地球は明日どうなるか誰も分からない。

今日は幸せにできれば、明日はどんなことでも乗越えられる。 

日本の皆さん、お幸せですか。

この配信を読んでくれている皆さんお幸せですか。

yuyi

2011年7月30日

2011.11.09 中国は豊かになった?yes!

皆さんこんいちは!
夏休みはいかがでしたか。

私は中国で二週間休養してきました。
昨夜のテレビ番組は(どんな番組か覚えていません。)
北京の町で中国人にインタビューしていた内容でした。
「中国が豊かになったと実感していますか」という問いには
ほとんどの答えは「実感しています。」


「今度の新幹線の事故について、どう思いますか。」
(向こうでは“動車”と呼びます)
答えはほとんどそれほど不満がないそうです。

本当にないのか、ありえないでしょう。
ネット上ではこれほど共産党に対して表面的な激痛的な批判は
今まで無かったものです。


なぜ日本のテレビ局に対して、このような答えだったでしょう。

これは中国人の一つの心理の問題です。
決して公にて、本当のことなどが言えないとかの問題ではありません。

いくらの不満があっても、外の人間に対して、悪く言わないのは
普通の中国人の考えです。


私が以前書いていた内容にあるテレビに出た方の台詞:
「私のお母さんが地面に痰を吐いたら、私は叱っていいですが、
貴方に言われたくありません。」

私は始めてブログを書くとき、中国にいる妹に話していましたが、
妹が「悪いことを書かないでね、いいことを書いてください。」
とすぐ反応していました。(日本に4年も留学していた妹)
最初は二胡講師の黄さんにも「いいことを書いてください。」
と何回も言われていました。


メンツを大事にしている、あるいは今までの思考パターンから
脱出できないのが原因かもしれません。


また中国から出たことが無い中国人達は物事の本来べき姿を
知らないはずです。本当は政府はどういうふうに対応すべきか、
一人の国民としてどういふうに自覚すべきか、知らないし、
あんなインタビューにもなれていないはずです。

本題に戻ります。
今の中国は本当に豊かになりました。
私の感覚では、実感できたのはほんのこの2,3年ぐらいのことです。

今回の体験の感想は次回にしましょう。
yuyi

2011.11.09 中国の銀行

皆さん、こんにちは。
発表会は無事に終わりました。写真はこちらです。
http://chinalinear-gakki.com/event10/event10.html

久しぶりにかこうなかと思います。
8月の夏休みに私は上海に、それから広州にも行きました。
広州についてから、あいにくお腹を壊して、深夜も急診に行きました。
小さな店で食事すると、危ないということです。

日本に戻る3日前、手元の人民元を中国銀行にある口座に戻そうとしていました。
約2万元ぐらいです。
ATMでは5000元以上は出来ないので、窓口でやるしかないです。

並んで私の番になると、口座が大連で作ったので、「外地」の口座という理由で、
身分証明書が必要です。
去年戸籍を戻してから、臨時の身分証明書を正式の身分証明書に変換してから、
ずっと大連にいる姉の手元においてあります。

そして、「身分証明書の番号なら、分かります。」といったら、「お願いします。」
返事してくれました。

私は急いで大連の姉に電話して、身分証明書の番号を教えてくださいと伝えました。

しばらくして姉が短信(ショットメール)で送ってくれました。
(銘菓と関係なく電話番号だけでショットメールが出来るので、すごく便利です。)

再び窓口に戻ったら、その事務員の方が、後ろのリーダーっぽい方と話してから
「やはり身分証明書が無いと無理です。」といい始めました。
「分かった、もういいです。諸金ぐらいでこんな時間がかかるなら、結構です。
同じ銀行じゃないですか、こんな規定は誰が、何のために決めたのですか。」
といい始めた自分に気づき、「中国でもう喧嘩しないと決めたじゃ」と
体力もなく、やめました。
しかし、帰る前の日、姉に貸したお金の一部は、姉が私の口座に振り込みました。
そのお金が日本で融資したもので、日本で返済しなければなりません。
「日本に行く前に両替して、日本円で持って帰ってください」と頼まれました。

急いで銀行に行ったら、「何万円ならいいですが、これほど金額なら予約しないと、
外貨を用意していません。」

ATMで一度2500元しか出せないのに、私は8回を分けて2万元も出しました。
それでもいくつかのATMのかなでやっと一つだけのATMにお金が残っているので、
出したのです。

心の優しい銀行の方は「何処何処の銀行ならありそうです。」と教えてくれました。
そこに行きました。そこにも無かった、まだ「何処何処の銀行ならありそうです。」
まだそこに行きました。やはり無かったです。今回は次の「ありそうな銀行」に電話
してもらって、「40万円ならあります。」とうれしい情報が入ってきました。

急いでその銀行に着いたら、「身分証明書はないと出来ません」と伝えられました。
電話で「貴方でも、社員でもいいから、身分証明書を持っている人がいれば、
こちらに来てもらえないか」と友達に頼みました。

しばらくして、友達の社員の一人の女の子が来ました。
今日入社の手続きをするから、身分証明書を持っているということです。
彼女の名義でなんとか40万円を手に入れました。

姉が田舎にいるから、日本まで振り込むと、わざわざ大連市内に行かないと
いけないから、比べると私がやってあげれば、まだマシです。

それで中国人はどうして友達が必要なのか分かりましたか。
yuyi
2011年10月19日

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