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2011.11.13 笛ちゃん② 2011年1月21日

「つらいのはみんなです、内の子は特別ではありませんよ。」

そうですね、勉強は全てではないと私は思っています。けれども

ここらから逃げてはいけません。乗り越えてもらうしかないです。

次の週末、私は帰ってきたら、笛ちゃんはベッドに横になって、

泣いています。 

私は笛ちゃんをリビングに出して「お母さんと顔を向き合って、

とことん話しましょう。」

笛ちゃんは泣きながら、親への文句をはじめました。

とにかく両親が嫌いです。「このままで私は精神病になってしまうよ・・・・」

話を聴いているうちに、今回の誕生日にプレゼントを貰っていないから、

一番機嫌が悪い原因だとやっと分かりました。

ほしいのは新しい携帯電話です。今使っているのは古いから、

少し前に新しいものを交わせたのに、学校で深夜に妹に電話したため、

先生に没収されたそうです。それからずっと古い電話を使って、

もう我慢できなくなっているようです。

笛ちゃんの誕生日の日に、妹夫婦二人は午後家で急いで餃子を作って、

またレストランで料理を注文して、二人で学校まで届けて、

担任の先生に渡して、夜に先生と一緒に二人で食べるようにしていました。

それでも不満です。

笛ちゃんは内の兄弟の子供の中では一番幸せな子でした。

小さいころから お爺ちゃんやお婆ちゃんと私と末の妹に囲まれて、

可愛がられてきたし、また妹の事業も順調に発展して、地元では若くて

先に豊かになっているから、周りにうらやましがられて、

笛ちゃんは食べるもの、きる物何にもかも満足さしてあげているし、

また妹夫婦が円満で、家庭にも恵まれています。

小さいころ大人の気持ちがよく分かる笛ちゃんは、小学生の途中で、

妹夫婦は事業のために、彼女を大連市内の貴族学校に預けました。

週末だけが迎えます。

学校の集団生活は子供の自立にはとてもよかったですが、貴族の学校はみんな

比べ合っています。

週末に迎えに来る車は安い車はないそうです。

子供達はまず親の車で比べあっています。

笛ちゃんはだんだんお父さんの車に不満になっていたそうです。

そこで笛ちゃんは少し変わったようです。

私はもう黙っていられなくなりました。 

厳しい口調で「笛ちゃんはいつごろからこんな子になっているの?

誕生日に一回ぐらいプレゼントを貰っていないことは、命にかかわって

いますか。おばちゃんとあなたのお母さんも今まで誕生日に親から一度も

プレゼントを貰ったことはないの。林林お姉ちゃんだって、貰っていないよ。」

林林は私の一番上の姉の娘です。今大学2年生です。

姐の家は貧乏で、姐の体もよくないし、けれども林林は勉強も出来るし、

書道もうまいです。中学生のとき、お正月になると、

周りに「対簾」を書いて、家計に足すことにしていました。

(「対簾」は中国の古い伝統です。俳句っぽいものです。筆で書いて、

マンションのドアの両側に鮮やかに貼ります。「福」という字も貼ります。)

妹は続けて言いました。「林林の高校の学校を見に行ったでしょう。

どんな環境でしたか、笛ちゃんの今の学校と比べられないでしょう。

一緒に買い物に行くとき、林林ちゃんはいつもうらやましい目つきで

笛ちゃんを見ています。林林ちゃんだってほしいのよ。それだけではありません、

林林ちゃんは勉強しながら、いつも家事を手伝わなければならなかったです。

比べると笛ちゃんはどれほど幸せか分かりますか。」

 

「周りと比べてみてください、私は十分いい子じゃないですか。

新しい携帯電話ぐらいじゃないですか。」

「ママもパパも古い電話を使っていますよ。」

笛ちゃんはそんな悪い子ではないのが私だって分かっています。

それでも甘やかしてはいけません。

結論は今の担任先生に頼んで、学校に没収された電話を取り戻します。

(それはお母さんと電話したから、許せます、くだらない友達と深夜でも

電話なら取り戻すことはしない。改めて買わないことです。) 

義理の弟も最近笛ちゃんのことで大分悩んでいます。

私達の前で、厳しい口調でいろいろ言うけど、次の日曜日に娘と会うと、

態度は一変しました。

「どうして機嫌が悪いの?新しい携帯がほしいでしょう。

パパが買ってあげるよ、パパはね、笛ちゃんのためにお金を

稼いでいるから、笛ちゃんの機嫌がよく慣れれば、ちゃんと

勉強してくれれば、何だってします。」

あれあれ・・・・

 く妹と二人の苦労は台無しにされました。

「ねえ、あなたは完全に娘の捕虜になっています。いくらなんても、

原則を崩してはいけないよ。」私は言いました。

「それはありますよ、恋愛したら、私はこんな態度じゃなくなるよ。

絶対恋愛してはいけない。」わざと笛ちゃんに聞かせています。

二人は笛ちゃんを大学まで、恋愛させない姿勢は崩しにくそうです。

2011.11.13 笛ちゃん③ 2011年1月23日

笛ちゃんの担任先生のことですが、彼女は南京の方です。

中国では学校の先生という職業は特に人気です。男性は恋人を探す

ことにも人気な条件だそうです。

学校の先生は仕事として安定だし、社会地位もあります。給料は

そこそこですが、仕事以外の収入は多いです。学校以外の時間で

補講だけですごい収入になるそうです。保護者から大事にされています。

将来の自分の子供の教育にも役に立つでしょう・・・

保護者は自分の子がお世話になっている先生にプレゼントしたり

お金をあげたりするのは普通です。

妹はカバンを買って彼女に渡すきっかけで、親しくなったのです。

学校の運動会で彼女は下顎に怪我をしてしまって、ご飯をためられなくて、

一週間ずっとミルクしていましたが、お医者さんに「このままにすすれば、

栄養しつちょうになると、傷も治らない」と終われました。

そばに家族や親戚もいない彼女は妹を思い出して、

「スープを作ってくれないか」と頼みました。

妹は彼女を家まで連れてきて、看病していました。

それから、週末になると、行くところは無い彼女はよく笛ちゃんと一緒に

妹の家に来て、ついでに笛ちゃんの勉強も補講してくれるそうです。

これも笛ちゃんの一つのストレスかもしれません。

こういうことで、学校でも家でも笛ちゃんの自由はなくなったのです。

けれどもこれ以外のいい方法もなさそうです。

日曜日の午後夫婦を揃って、笛ちゃんと一緒に買い物に出かけました。

帰ってきたら、笛ちゃんはすでに機嫌がよくなって、喜んで

買ってきたばかりの服を試着しています。

700元ぐらいのジンズで韓国のブランドで中国ではやっています。

笛ちゃんの周りはみんなもっているそうです。これはお正月のために

買ったそうです。

お正月に必ず新しい服を着るのは昔からの習慣です。

私は笛ちゃんを小さいころのように抱いて、脚に座らせます。

厳しく教育した後に、優しくしてあげないといけないです。

「笛ちゃんは周りと比べるとずっといい子だとわかっています。

けれども、みんな新型の電話を持っているから、みんなのような

ブランドを着ているから、自分も持てなければならないように

流されてはいけません。表だけのきらきらのようなもの眼を

くらんではいけませんよ。悪い影響をされそうなくだらない関係を

きっぱりきることです。友達なら大学に入ってからいくらでも作れるし、

おしゃれなら、大人になってから、いくらでも出来ます。

後3年間、勉強だけに集中して、大学に受かるかどうか、考えないで、

目の前にことを精一杯やり遂げれば、結果はどうであれ、

その後は後悔はしません。大学に入ったら、ご褒美として、

日本に招待します。あとは勉強には方法が必要です・・・・・」

 

私達には日本のように「褒めて育つ」ことはありません。

たたかれて育てられました。

よく出来ていると思ってくれても、褒めないように

「まだです、もっと頑張れ」と昔からよくある教育です。

日本の教育の現場を見たことはありませんが、テレビでよく「褒めて育つ」と

聴いていますが、私はいつも疑問を持っています。

よく出来たときにちゃんと褒めていいですが、よく出来なくても

褒めてあげれば、どうなるでしょう。

現実を背けさせるではないでしょうか。社会はそんな甘くありません。

いくつになっても、何処に行っても、誰でも優しく褒めてくれるわけ

ありません。小さいころから挫折感をよく味わってもらったほうが

丈夫に育つではないでしょうか。

また周りに流されないことはとても大事だと私は思っています。

日本のいじめ現象は日本の文化の産物だと思っています。

なんでも集団で行動して、仲間に外されると怖いからです。

仲間に外されないようにいじめ側に従う子供はどのぐらい

いるでしょう。

そんな善悪さえ分別できない仲間に外されたらそんな寂しいでしょうか。

保護者の教育や学校の教育は本当のポイントに外れていませんか。

人の弱みを突っ込んで、大勢の人がたった1人をいじめるなんて、

どれほど卑怯なことか、私は担任先生ならあるいは校長先生なら

毎日念仏のように、叩き込みます。

またいじめられると転校させる親はいます。それは問題を解決する

方法じゃないと思います。一度逃げさせると、子供の心は永遠にその

挫折感から立ち直らないです。一度転校すると二度、三度にもなります。

どうしてでしょう、単なるいじめから逃げるだけではなく、

人生の全ての困難から逃げがちになりそうです。

いかにそのいじめと立ち向かって、逆転させるか、親の責任だし、

子供にとって試練のチャンスではないでしょうか。(日本が平和すぎるから)

・・・・・・

次の日曜日、私は日本に帰るため、土曜日の夜に例の健康センターに

泊るつもりで、妹も笛ちゃんを迎えて、健康センターにつれてきました。

マッサージの部屋で、笛ちゃんは別れの挨拶にきてくれました。

笛ちゃんの手を握って「どうなっていますか、携帯電話を貰いましたか。」

「まだです。期末テストの成績を見ると言われました。」

「じゃあ頑張るしかないですね、いい成績を出すように頑張ってね。」

「うん・・・」

2011.11.13 赤信号を渡る① 2011年1月26

普通は青信号を渡るのに、なぜ赤信号でしょう。

日本は何でもきちんとルールで出来ているので、その通りにやれば、

大抵スムーズに行きます。

道路だって、交通信号をきちんとしています。どんな小さな道でも。

あるべきところはちゃんと信号が設置しています。

日本で長く住むと、信号もちゃんと守るようになりました。

怠けものになるような感じで、神経を尖らして、赤信号を渡ろうと

しなくなりました。安心安全に、ルールに乗れればかなり楽じゃないと

思うようになりました。また渡ろうとしても渡る勇気もなくなりました。

しかし中国に行くと、別の世界です。

10年前大連の開発区に行くとき、それほど広い通りなのに、

信号はありませんでした。横断歩道があっても。

歩行者は自由に渡りたいときに渡る、渡りたいところから渡りました。

大連に帰るたびに、一番の問題は道を渡ることでした。

怖いです。車が走った道をそのまま渡るなんて、

従姉妹や妹が毎回私の腕を引っ張って、途中で戻らないように必死でした。

途中で戻ると一番危ないからです。

それこそ自殺行為です。

経済に発展にともに、だんだん交通整備もよくなりました。

せめてあるべきところに、信号はちゃんと機能するようになりました。

これは大分助かりました。

時間が多少長くても、待っていれば、何とか安心に渡れます。

一度青信号を待っていても、なかなか青に変わりませんでした。

長いなあと思ったところで、後ろから1人男性が来て、

「この信号が壊れていますよ。」と言いながら、

渡り始めました。私は急いでその方の後ろについて、渡りました。

恩人のように思っていました。

去年の夏に大連に帰ったときのことです。

青信号のときに渡り始めると、途中で赤に変わりました。

ちょうど半分渡って、次の半分の半分を渡っているところで、

なんか車は動き始めようとしているのをみて、引き返そうか

進もうかとちょっと迷いながら、2車線目を渡ると、もう1列の車は

(3車線?)

すでに走り出して、私は「あっ」と道の端に飛び上りました。

跳ねられそうなところでした。

ちょうど1人の男性は通っていました。

彼は目の前の風景を見ながら通りすぎたのに、また振り向いて私を見て、

何か言わずにいられない様子で、戻ってきました。

「ねえ、今の渡り方は一番危なかったです。引き返してはいけないし、

そのまま渡ってはいけませんでした。もし2列目の車はバスのような大きな車なら、

3列目の車はあなたが見えない状態になります、あなたが飛び出すと、ちょうど

ぶつかってしまうのです。」

「じゃどうすればいいですか、そのまま真ん中に立つのですか。」

「そうですよ。」

車が走っている車道に挟まれている狭い隙間に立てるものでしょうか。

「少し待ってくれればいいじゃないですか。」

「その考え方は先進国ならいいですよ。」

その気品を見れば、先進国から帰ってきた人間に違いがありません。

言わなくてもお互いに分かるでしょう。

国内にはこのような不器用な人間はいないでしょう。

2011.11.13 赤信号を渡る② 2011年1月29日

いつでも誰かがそばにいてくれるわけはありません。

タクシーに乗るとき、絶対に目的地の反対側に止めさせないように、

遠回りしても、目的地のそばに止めてもらいます。

タクシーの運転手によく「おかしい」とか「あなたのようなお客さん初めて」とか

言われます。「道を渡れない」と言えませんよ。

また1人になると、私はいつも信号のない横断歩道のところでうろうろ

しています。誰かが渡るとき、後ろについて渡ったりします。またどうしょうも

ないとき、近くのどちら様に「どうやって渡るの?」とか、

「どうしよう、渡れないの。」と可愛そうに頼みます。

大抵相手はわざわざと一緒に渡ってくれます。

信号はちゃんとあっても、渡っているところで、いきなり脇から曲がってくる車は

あります。それだけではなく、大きなクラクションを鳴らすため、飛び上がるぐらい

びっくりさせられたりします。

その時その運転手を殺すぐらいの気持ちで睨んでいます。

つい最近、DVDの作製のために連続2回も大連に帰るとこで、いつも1人で行動

せざるを得ないため、信号があるかどうかと関係なく渡らなければならないから、

なんと渡るテクニックを掴みました。

道は一見に車だらけでしょう。大抵2車線に過ぎません。(車が運転できない

人間の感覚かな)2車線は必ず逆方向です。半分ずつ渡れば、意外と渡り

やすいです。

例えば左から右に渡ると、まず左だけを見ます。車は少なくなると、

急いで渡って真ん中に立ちます。今度右を見ます。車は少なくなると、

また渡ればいいです。もし両方とも車は同時に少なくなると、それはラッキーです。

この方法でかなり1人でも気持ち楽に道を渡れるようになるし、渡る勇気も

付いてきます。どんどん大胆に渡るようになりました。

その度胸で日本に帰ってくると、細い道ならみんな待っているにも

かかわらず、ついつい渡ってしちゃいます。

そんな怖いものじゃないじゃないですかと不思議に思ったりします。

中国の交通状態はまさに発展途中の中国の事情とぴったりです。

法律は不完全、ルールは出来ていない、道があるかもしれませんが、

渡らせる信号はないあるいはあっても機能していない、

あるいはあっても誰も守らない、自由に好きにされています。

・・・・・

そんな状況では、小さいごろから全てルールで出来ている、

ルールをきちんと守っている世界で生きてきた日本人は、

どれほど対応に苦しんでいるかは想像できるでしょう。

赤信号になっても、渡るしかないときがあるし、信号は無いところで

渡らなければならないときもあります。

中国でやり遂げられるかどうかは、このような状況に器用に対応できる

どうかということです。

別に中国を避けていいのなら、それでいいですが、中国で

勝負したかったら、まず赤信号を渡る勇気を養うことです。

きっといつかスムーズに渡らせてくれる社会環境に変えていくでしょうが、

そこまでの辛抱です。

2011.11.13 中国人同士のお付き合い① 2011年1月29日

日曜日、お台場の「温泉物語」に初めて行きました。

駐車場にはバスも止まっています。

中国からの旅行団体もよく来るそうです。

1人の1歳ぐらいの子供に引かれて、ついついそばに行ってしまいました。

話をかけたら、保護者は中国人です。「ママじゃないですよ、お婆ちゃんです。」

それで子供と遊びながら、彼女と話し始めました。中国の吉林省から来たもので、

娘のために子供の面倒を見ているそうです。日本語はあんまり出来ないですけど、

よく1人で2人の子供を連れて来られました。上の女の子は5歳ぐらいで、

幼稚園の送迎も全部彼女がやっています。60に近い方ですが、ある程度の

頭の良さがなければ、日本でこんな色々なことをやりこなすことが難しいでしょう。

別れるとき、「経済的に困っていることはありますか。」と心配そうに聞いて

くれました。

「ありません。ありがとう。」と名刺を渡しました。

名刺を見ると、びっくりしたようです。

「実は隣のV-タワーに住んでいましたよ。子供のために、海の近くに引越しました。」

次の日、彼女から電話を貰いました。「内のマンションからあなたのマンションが

見えるようです。娘と婿もあなたの職業はこれから伸びる業界ですから、

頑張ってくださいね。」

また二日間経つと、私はから電話をしました。

「娘と婿は明日の夜に、京都の出張に行くそうです、1人で寂しかったら、遊びに来れば、

娘もそう言っているし。」

「じゃ、明日仕事が終わったら連絡します。」

次の日の金曜日、私は吉祥寺で教材のCDの録音が終わってから、彼女に電話しました。

「こちらに来ますか?」

「娘達はもう出ましたか。」

「まだです」

「みんな忙しいでしょう、私は行くと邪魔になるでしょう。」

「そんなことはありません。娘もあなたに会いたいですよ。」

「じゃ遠慮せずに行きますよ。」

子供にちょっとお菓子を買って、電車に乗りました。

駅に着いたら、教え通りに、ある高層ビルに入りました。

このビルの41階にあります。

娘と挨拶してから、部屋を案内してくれました。

窓から東京の全景を見えるぐらいです。

寝室から東京タワーが真正面に見えます。

子供部屋やお風呂と下着の引き出しまで全部見せてくれました。

あれもこれもお母さんが作ったようです。

また色々な家具のブランド名を言っていましたが、

家具のブラントが私は全然知りません。

新しいマンションでもあるし、どちらも荷物をきちんと

畳んでいます。

婿さんも帰ってきて挨拶してくれました。

日本人で弁護士です。

2人を送り出して、彼女はお菓子や果物を沢山出して、

二人の子供と机を囲みながら、世間話をし始めました。

「婿さんはとても大人しそうで、遊び人間に見えませんよ。

お得意先まで奥さんを連れて行くなんて、中国人なら珍しく

ないですが、日本人では初めて聞いたのよ。うまくやっているじゃ

ないですか。」

「娘をあちこちに連れて行くのが好きみたいです。今は大分大人しく

なってきただけです。2人には離婚危機もあったの、弁護士だから

説得力があるでしょう、自分が悪いのも知っているんじゃないですか。

娘を引き止めていました。娘もなかなかやり手ですよ。」

「・・・・・・」

「男の子が生まれてから、このような親父がいると、大人になったら

同じ人間になるではないかと婿を管理し始めていました。いろいろな方法を

考えて、口だけではなく、“暴力”までですよ。ひどいとき中国人のヤクザに

婿を注意させました。 “中国人女性を泣かしたら、許せないぞ”だって。」

「ヤクザまで?」さすがに驚きを隠せませんでした。

「娘は友達が多いです、1人の友達の旦那は在日ヤクザのリーダーです。」

「婿さんは十何才の年上だから、ある程度の包容力はあるでしょう。」

「こんなふうに変わってくれなければ、とっくに捨ててしまったでしょう。」

一体どれほど遊んでいたか詳しくありませんが、多分日本人が思うほど

ひどい状態ではないじゃないかなと思っています。

2011.11.13 中国人同士のお付き合い② 2011年2月2日

「弁護士と結婚したら、ちゃんとしたと思っていましたが、違いますね。

でも今は婿は娘に感謝していますよ、厳しく管理してくれなければ、

自分がどうなっているか分からないって。この家庭をちゃんと持って

いることと、このマンションと他のマンションを購入できることも

娘のおかげだって。仕事だって、娘に救ってもらったこともあります。

ヤクザの弁護になって、危ないところで、娘が友達の旦那に解決して

もらいました。

婿は裁判で負けたことはありませんが、娘だけに負けたとよく言います。」

「ハハハ・・・・」
 

「婿の親は結婚当時会ってもくれませんでした。今はすごく感謝して

くれています。娘のおかげで、家庭も息子もきちんとしているからって。」

「娘も優しいのよ、夜1時、2時になっても、婿の帰りを待って、

ご飯を作ってあげます。洋服や下着まで全部アイロンをかけてあげます。」

「あなたのようなお母さんがいてあげるからね。ご主人を中国に

置いて、大丈夫ですか。」

「主人は下の娘に任せています。私は日本にいないと娘は鬱になるでしょう。

日本人と結婚して、鬱になる中国人女性は多いですよ。支えてあげないと。

私は大連でビジネスをやっていましたよ。優雅な生活していました。車を

運転して、行きたいところに行ったし・・・お金を稼いでいるから、

娘達を中国から送り出したのよ・・・

アメリカに行くつもりでしたが、“119”事件でビザを拒否されて、

しょうがないから、日本に来ました。日本人と結婚して、心労しているのよ、

ほらあんな若いのに、ふけて見えるでしょう。あなたのほうが若く見えるのよ・・・

今の日本人は楽しいことしか考えていませんよ、男女とも・・・」

弁護士の仕事は多分人間社会の裏がいっぱい見えるでしょうが、

この母娘は、日本人にはあんまりいい印象を受けていないようです。

私だって、日本に十何年も住んでいても、それほど馴染んでいないのに、

彼女は頭がよくて若々しいですが、年齢的にはやはり受けられないものは

多いでしょう。

「中国人同士といっても、めったに家まで呼ばないから、董さんが

あんまりいい印象を受けていたし、ちゃんとした事業もやっているし、

娘と話して、是非家に遊びに来てほしかったです。

娘と同じまじめで、日本にこれほど長くいても、全然変わっていないですね。」

「変わりましたよ、今中国人でも日本人でもない、どうしたんだと

思うときがあります。」

彼女は何を言いたいか、私は分かっています。在日中国人によく

言われることです。

・・・・・

「娘はあなたほど日本語上手じゃないですよ。婿は英語も勉強させよう

としています。子供の教育は日本でするとだめな人間になってしまうから、

多分他の国にも行くでしょう。婿もこう言っていたから。」

彼女は急に思い出したようで「今日は麦粉を発酵しました。

もう膨らんできました。“花巻”(饅頭)を作るから、持って帰る?1人暮らし

だから、少し持って帰ればご飯を作りたくないとき、便利でしょう」

「いいです、時間がかかるでしょう。」

10分ぐらいで出来ますよ。」

「じゃお願いします。」

私は子供をみて、彼女はキッチンに入りました。

しばらくして出来立ての暖かい“花巻”をビニール袋に入れて、

私のカバンの中に入れてくれました。

「遅いからここで泊る?明日は9時に出るから、一緒に出ましょうか。」

「あなたの家じゃないのよ、婿さんが日本人だから、知られたら口で何にも

言われなくても、私は頭に問題があると思うでしょう。遠くないし電車も

便利です。」と半分冗談を言いながら、その高層タワーを後にしました。

やはり彼女には溢れるほど母親の暖かさを持っていますね。

気とらず気遣わずに造らず、警戒も建前も社交辞令も敬語も謙語もなく、

素のままに、とてもリラクスした和やかな雰囲気で何時間も過ごさせて

もらいました。

久しぶりに家に帰った気分でした

20112月2日

2011.11.13 若さ(2011年2月9日)

昨夜 11時半突然の電話、「明日の夜葬式の二胡演奏ですが、演奏はいきなり

不都合になり、二胡演奏者を手配してくれませんか。」ということでした。

私は急いで電話をし始めました。

何時ものお姉さんに電話しました。「こういう事情ですが、お嬢さんのご都合は

いかがですか。」

「明日レッスンがあるそうです。6時から演奏なら、レッスンは3時までですから

3時からであれば間に合うでしょう。」

「片道は2時間もかかります。それで5時に会場に入らないといけません。」

「じゃ作曲のレッスンの先生と相談してみます。ずらしてもらえるかどうか・・」

返事を待ちます。

大分時間が過ぎてから、お姉さんから電話が来ました。

「やはり行けないですね。娘はね、あんまりストレートで話していたから、

先生はレッスンをずらしてくれません。急に仕事が入ってきたからといったら

私は先生なら許可しないでしょう。」

「だったら、お姉さんが車で送ってあげれば、間に合うでしょう。」

「そうですね、分かりました。じゃ行くことにします。」

私はこちらの担当者と連絡して、曲などの話をしてから、またお姉さんに

連絡した。電話がずっとなっているのに、出てくれませんでした。

最後娘が出てくれました。

「お母さんは私に色々言われていたから、怒っています。明日私はレッスンを

欠席して、行きます。・・・・・」

そして担当者と電話番号を交換してあげて、直接の連絡してもらうようにと

12時半までのやり取りで、やっと終わりました。

今朝、振込みの件でお姉さんに電話したら、「娘のことが自分でやってもらうから、

直接に彼女と連絡してください。私はあなたに娘はストレートの話したと

いったぐらいで、娘は“私の恥をばらしたどか、私はそんに出来ない人間なのどか、

私を侮辱したどかまで”言われました。どうしてそこまで思うでしょう・・・」

と悲しそうに話していました。

「お姉さん、これは年青(若さ)です。若さの特権です。悲しまないで、

口で言うだけですから、心で真剣に思わないはずです。また同じ状況になると

きっとお母さんの話を思い出すでしょう。」と言いました。

そうです。若さですよ。自分の世界観など独立しようとしているときの

心理でしょう。その年齢を過ぎた私達はその時期があったでしょう。

思い出してみてごらん。

あの時期は必要のないところを気になったりします。まだ人間や世間や

どんなものか知らなかったからです。

その年齢を過ぎても、まだこのような心理があれば、それこそ未熟です。

(不成熟)

その若さに心から応援したくあります。

201129

2011.11.13 水餃子の作り方 2011年2月10日

先週餃子パーティをやってから、餃子の作り方を知りたい方がいらっしゃるので

書いてみます。

次回のパーティならもっとうまく手伝っていただけるでしょう。

餃子には主に水餃子と蒸餃子と焼き餃子です。焼く餃子は日本の専門です。

水餃子は一番デリケートで難しいです。

中国では水餃子の故郷は北のほうです。だから南の町では「北方水餃子」

の看板が見えます。餃子はイコール団欒です。北方では餃子は主食です。

大事なときに、餃子を作ります。お正月や、誕生日や結婚の日も欠かせないです。

また餃子作りもみんなが大きい板を囲んで作るので、にぎやかです。

皮:1、日本のスーパーで売っている餃子の皮は焼き餃子用で、水餃子にし

ないほうがいいと思います。

2、手つくりは出来ますが、薄くつくれれば美味しいですが、

   かつ過ぎると、美味しくないです。作り方は文章で伝わりにくいから

やめときます。

3、日本にある中国の食料品の専門店で売っている餃子の皮は水餃子用です。

   新宿や 池袋などいろんなところにあります。それはお勧めです。

   新宿ならこちらです。

華栄中国食品店

新宿歌舞伎町1-24-2西部ビル3F

電話:03-3232-0222

具:具は餃子の命です。けれども形が見えないから、売っている餃子はあんまり

  いいものが入っていないので、美味しくありません。

  私は何時もいい材料を選んで、贅沢な具を作ってしまうのです。

 

美味しい具の作り方:

1、餃子パーティで作った具は蛎と大根と挽き鶏肉と少々香菜。

大根の甘みが蛎と愛称がいいです。ただ大根を細かく切った後、

水分をちゃんと搾っておいてから使ってください。具には水分が多いと

包みにくいです。(ねぎがあれば少々)

味付け:油、胡椒、塩 味元 

2、挽き肉(豚肉と鶏肉) 白菜と韮 (しいたけ少々でもOK)

3、挽き肉(豚肉と鶏肉) 白菜とセロリ

4 挽き肉(豚肉と鶏肉) ピーマン 

5. 挽き牛肉と大根とねぎ少々 (インゲンでもいいです、蒸し餃子にすれば最高です。)

味付け:油、胡椒、塩 味元 醤油少々

タレ:

北方では大抵細かくたたんだニンニクと醤油と香油を使ってタレにしますが、

上海に行ってから、酢に変えました。実は「鎮江香酢」は最高です。

日本人は匂いには非常に敏感なので、私はニンニクを使いません。

つまり餃子にはニンニクがありません。

また健康に気をつけている方なら、肉を少なめにしたり、あるいは

変わりにえびや、かに肉などを入れればいいです。油はオリーブオイル

でもいいです。お子さんが苦手な野菜があれば、何でも餃子に包めれば、

抵抗なく食べてくれるはずです。

 

包み方:お湯で茹でるので、ちゃんと包まないと、ワンタンになってし

まいそうです。私はとにかく具が一杯入れるようにします。美味しいから。

  皮を手のひらにして、真ん中に具を入れます。皮の端を一周りに水で

濡らして、¥真ん中から両面を閉じて、それから両側を閉じます。

閉じるとき、具を挟んではいけません。挟むとお湯に入れると、

開けやすいです。開けると水が餃子の中に入ってしまって、

味が薄くなります。

 

茹で方:

茹でるにはコツが必要です。

鍋に水を多めに入れます。お湯が必ず沸騰してから餃子を入れます。

鍋にくっ付かない様に、鍋を動かしながら入れます。他の方法でもいいし、

餃子を直接にあたらないように、水を混ぜてもいいです。餃子を一度

入れすぎないように、浮いてきても、十分な余裕があるようにします。

餃子が全部浮いてくるまで、油断してはいけません。

浮いてきてから、弱火にします。ずっと沸騰させると、餃子の

皮が破れやすいです。弱火にしなければ、水一杯を入れます。また

沸騰したら、また入れます。大抵三回繰り返れば、出来上がりです。

冷凍の仕方:冷凍する場合は、紙で冷蔵庫の冷凍室に敷いて、餃子を

一個一個くっ付かないように並べます。固まってから、ビニール袋に入れて、

保存します。(入れないと乾燥し皮が割れます)冷凍餃子を茹でる時、

同じ方法でもう少し時間をかけてください。

以上はあくまでも私の自己流の作り方です、かなり行けていますよ。

料理が上手ではないですが、餃子ぐらいなら、少々自信があります。

ご参考まで。


2011.11.13 中国の大晦日の“春節聨歓晩会” 2011年2月18日

10何年も日本にいて、中国の大晦日の春節聨歓晩会の中継を見たのが

今年は初めてです。(黄先生のおかげです)

夜のレッスンが10時に終わって、思い出したとき、すでに1時間ぐらい遅れ

ていました。

それからずっと1時半までみてまだ終わっていなかったから、消しました。

“春節聨歓晩会”は単純な娯楽番組ではありません。それは国の一年

のまとめです。過去をまとめて評価して、未来へ希望を持たせるのです。

番組の内容はあらゆる政府、業界、各少数民族、各社会層の代表など出席します。

以前は国家の主席は必ず出席して、登場した俳優達と拍手しましたが

江沢民の印象は一番深かったのです。

 

今年は中央政府の方が見えませんでした。(私が見かけなかったか

よく分かりません。)

番組の内容は歌やダンスや漫才など当たり前ですが、マジック、サーカス、

小さなお笑い劇(小品)もあります。

小品は人を笑わせるだけではなく、社会風刺はメインです。

色々な社会現象や問題をそのまま指摘します。

今は一番人気のお笑い番組です。

今回は一番印象的には、マンションを買うために、偽離婚しようとした

夫婦の話です。

中国では不動産のバブルを押さえるために、一世帯は一軒のマンション

しか買わせない政策があります。離婚すれば2つ買えるからという

笑い話です。

今は農村から大都市に稼ぎに出来てきた若い世代は社会的には

一番不安な階層なので、そこで深センから稼ぎに出かけた色々な業界の若い

男性達をまとめて、建築の現場で働いている様子を描いたダンスがありました。

河南省の1人の女の子はネットから推薦で、「故郷が恋しい」という歌で

登場しました。歌うときに、河南省にある家には沢山の人たちが集まってきて、

テレビを囲んで彼女を見ます。その映像はステージの大きなテレビに

に映っています。テレビ番組は先に民主化になりつつありそうです。

(河南省はとても貧しいところです。)

これを見ると、この階層の人々のことが心配されていると分かります。

社会を全体的まとめるので、心配が多いところが特別に反映されていました。

また各組織や、外国大使館なの名前の必ず出します。

今年は特に各国の大使館の名前は目立ちます。

もうすでに国際的な意識が強いという意識でしょう。

司会者達は注目です。男女5人で、みんな有名な司会者です。

中国の司会者はまず頭の良さを求められています。言葉の達人です。

また女性は背の高さも重要です。細く高く、知的で迫力がある方は人気です。

私が憧れの職業でした。15年遅く生まれてくれば、

なっちゃうかもしれません。けれどももう少し伸ばさないと()

(日本と違って、中国人女性の背の高さはかなり重要視されています。

恋人を作るの条件まで。)

彼達の台詞はとても大事です。人の心をひきつけて、社会をまとめる

力があります。もちろん共産党の声の変わりになっています。

政治的な直接の指導や命令は無くても、自然にそうなるでしょう。

過去の共産党の成績をまとめて、これからの大事な政策なども言います。

特に今年は全国的な「道徳模範」を何人も紹介されていました。

「道徳模範」はどんなものか、具体的な内容の説明もなく、

さすがに私も分かりません。全部田舎っぽい人たちです。

挨拶も詩を朗読するように、鳥肌が立つばかりでした。

これらの「道徳模範」達は社会的に何の役割をしているか

分かりませんが、今の私の意識から見れば、完全な笑い話ですね。

最後最後、団結は何より・・・・・

経済と同じ、共産党は無事に民主主義に渡れるように祈っています。
2011218

2011.11.13 「太平洋の奇跡」2011年2月23日

戦争についての話を書くかどうかずいぶん迷っていました。

この話で日本の皆さんの感情を傷つけるつもりはありません。

そもそも戦争は私の世代とは無関係なものです。

それでも違う角度から一度話を聴いていただいてもいいと思います。

「太平洋の奇跡」をまだ見ていませんが、大抵の内容が分かっています。

日本軍の戦いぶりが日本人より中国人のほうがもっと実感していたはずです。

60年前のことでしょう.

中国では日中戦争のドラマや映画が多いです。

テレビをつけたら、必ず放送中のチャネルがあると言えるぐらいです。

以前は日本軍のすごさは決して口から出さなかったですが、

最近見たドラマでは中国人の士兵の口から出てきていました。

1人の日本軍は、何十人に中国軍は匹敵できなかったというせりふ

も聞いていました。

そうでなければ、あれほど人口の多い中国であんな長い戦争は

続けられなかったでしょう。

そのすごさはこれだけではありませんでした。

全ての生き物を無差別殺してしまったのです。

妊婦のお腹を平気で切ったし、子供は両足で裂けて殺しました。

女性を年齢と関係なくレイプされていました。

一度レイプされた女性はもう生きる顔もなく、自殺するしか

ありませんでした。

これらはお小説ではなく、ノンフィクションではなく、共産党の宣伝では

ありません。

これらの風景を目の当たりにしていた人たちはまだ生きています。

このような話をお爺ちゃんやお婆ちゃんの口から聴いた人たちは

まだ生きています。

・・・・・・

慰安婦までの話をすると、皆さんはきっと眠れなくなるでしょう。

やめときましょう。

・・・・・・

今も中国に帰るたびに、まだまたに耳にされる話です。

日本から帰ってきたから、このような話題が出るのです。

私は何時も「被害者は中国人だけではありませんでした、

日本の庶民も被害者でしたよ。」と言い返しました。

中国人は日本に対しての憎みは単なる共産党の宣伝だけのもの

ではありません。

深い傷跡は何世代が経たないと、癒えないでしょう。

広島の原爆は沢山の無差別に日本人を殺してしまいました。

それはなければ、戦争は一年延ばされれば、どのぐらいの

中国人が変わりに死ななければならなかったでしょうか。

・・・・・・

「広島原爆はよかった」と中国では一度も聞いたこともありません。

10年前に中国のテレビ番組で見たのは、原爆が命令したあのアメリカ

人は、その後、あんまり後悔して精神病になったという話でした。

今の共産党はいくら悪くてもあの時、弱い庶民を守ってくれたのは

共産党でした。

それだけを忘れてはいけません。

日本に来てから、「あの戦争は負けたんだから・・・・」

という言い方が何回も聞きました。

もし日本が勝てれば、人類の魂はきっと歪まれて

いるでしょう。正義ではなかったからです。

あの戦争は人類の災難でもあり、教訓でもあります。

忘れたほうが一番いいと思いますが、中国の教育は

「歴史を忘れてはいけません。」

忘れないで、永遠に戦争の影で生きていくんでしょうか。

覚えていて、永遠に日本の背中を指差して、責めていくんでしょうか。

何の意味はないでしょう。

以前に格格さまとに中間関係について、話していましたが、格格様は

「あの戦争のことですから、しょうがないです。これから2世代の

人が死ねば、戦争のことが消えていくでしょう。」と言いました。

(「私は見ていた中国の皇族」で書いた格格様のこと)

問題は敗戦後の処理のことです。

日本は本当に心から綺麗に処理するつもりか、ただ逃げるか分かりませんが、

子々孫々の日本人にあの罪を背負わせないでほしいです。

きちんと処理できずに、共産党のせいにするところはありませんか。

この答えは日本の政府が自ら回答するしかありません。

2011223

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