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2011.11.13 公家的⑤(2010年12月17日)

とりあえず、とことん休みましょう。

日曜日の夕方、幼馴染の艶ちゃんの家に行きました。

艶ちゃんは海の近くの山の元にあります。

6階立てのビルの6階です。エレベーターなし。

艶ちゃんは私と同じで田舎の生まれ育ちです。隣の村でした。

小学校のとき県で朗読大会で知り合いしました。

それから中学校になると同じ学校でした。

私は小学校から専門学校までの唯一の連絡を保っている友達です。

彼女は二年も浪人して、大連理工大学に入りました。

家も貧乏で、家族全員の希望として彼女を支えて、大学に送り込みました。

大学に行くのは唯一の生きる道だとそのとき彼女は思っていました。

大学を卒業して、すぐに結婚しました。

姑は貿易会社を経営して、義理のお父さんは弁護士です。

当時大連ではお金持ちでした。

彼女はその家庭を気に入り、家族を助ける一つの手段

だと思っていたでしょう。

姑は彼女の能力を気に入り、田舎の娘が仕事の出来ない

息子の代わりに家業をちゃんと

守ってくれるだろうと思っていたでしょう。

やはり旦那さんとうまく行かずに、息子は8歳のとき離婚しました。

彼女も姑の会社から離れて、独立して同じ貿易会社を設立しました。

近年会社はだんだんよくなってきて、去年このマンションを購入して、

今年また新しいオフィスを買い換えました。広々で立地のいいオフィスです

だんだん会社らしくなってきました。

艶ちゃんは腕を振舞って、手料理でもてなしてくれました。

「あら、いつごろからこんな主婦っぽくなって来ましたか。」

「このマンションを購入してから、私の料理は全部前の姑から

学んだものです。姑の料理は上手ですよ。お母さんより姑からの

影響は大きいですね。私達の田舎のお母さん達は、ろくな料理は

できないじゃ、まあ、ろくな食べ物も無かったし・・・」

私は窓の外の森を眺めながら「ねえ、艶ちゃんもし私達は

上海や北京のような大都市ではなくても、大連市内に生まれてきたら、

ただの普通の家庭でも、私達の人生はどうなるでしょう。」

「どうなるか分からないですが、せめて10年間の時間を節約できるでしょう。」 

10年間、10年の青春は決してお金で計算できるものではありません。

2011.11.13 公家的⑥(2010年12月19日)

艶ちゃんは一人のおかげで、家族を救いました。

10年前大連でマンションを買って、田舎のご両親を大連に連れてきました。

結婚しているお兄さんと一緒に住ませています。

二人のお姉さんの一人は病気のため、彼女は治療費を全部出して、

何年も治療し続けていましたが、救えなくてとうとう去年なくなられました。

もう一人は彼女について今の会社で働いています。子供やだんなさんも

田舎から連れてきて大連に住んでいます。田舎の人間は大連市内で生活

できるだけで、かなり大変なことです。それなりの仕事は出来れば別ですけど・・・

このようなことが日本人はよく理解できないでしょう。

どうして中国人はあれほど家族を助けるでしょうか。

一人の中国人のお嫁を貰ったら、家族の全員を貰ってしまうようにと

という話を聴いたことはあるでしょう。()

家族を大事にするなどの文化だけのことではありません。

艶ちゃんの例ですが、何の力も無い親がりんごや羊と畑のわずかの収入で、

4人の子供を養っています。彼女の勉強のためにお兄さんやお姉さんの

応援が不可欠でした。みんな犠牲にして彼女を優先していたのです。

彼女は大学に受かるまで家事や畑の仕事を一切せずに、勉強の一筋だけ

やってきました。それでも二年も浪人していました。二年目の浪人

はお兄さんの強い勧めでした。彼女は普通の大学に受かったのに、

お兄さんは行くならある程度いい大学じゃなければならないと。

 ような彼女は一人だけで大学に入って、一人だけでいい生活して

いられますか。

中国の状況は頑張ればいいという環境ではありません。

人の力の借りなければ、どうにもならないときは多かったです。

今でも。少し力を貸せば上がってこられるかもしれません。

私は3番目で生まれてきました。

上に二人の姉がいますから、自由にさせてもらえました。

何処に行こうか何をしようか、両親とも相談せずやっちゃいました。

上の姉は家事の手伝うために、中学校のとき無理やりお父さんに

学校を辞めさせられました。姉の成績はすごくよかったのに。

小さいとき、両親は両方とも仕事していたから、姉は私達の面倒を

見ていました。

二番目の姉は家の体力が必要の家事や、畑の仕事は一杯

やってくれました。16歳から、学校が終わってから一日一つの

かめに水いっぱいに運ばなければなりませんでした。深い井戸から。

夏も冬も。

私達は姉たちに頼っていました。守ってもらっていました。

そんなところで一緒にやってきました。

必要とされる限り、出来る範囲では、見捨てることは出来ません。

そこに決して損得勘定してはいけません。

私は艶ちゃんよりずっと楽です。

私の家族は確かに私が引っ張ってきていました。

けれども、妹達はちょっとだけ手を伸ばしてあげると、みんな自分の力で

やっていけます。そして力にもなってくれました。

今は妹達は私よりいい生活しているし、誰も私の助けが

必要はありません。

二人の姉は私達と別の世帯のような人間です。(両親と近い世帯の感じ)

決して引っ張ってもついてこられる人間ではありません。何回も試して

諦めました。次の世帯を期待するしかありません。

昔の親は自分が老後のために子供を生みます。私の両親は男の子が

ほしいから、結局6人の娘を産んでしまいしました。

娘は人に家に行くものですから。

ですから娘だからそんなに教育をうけなくてもいいと

私の両親は思っていました。

結局、今この6人娘はお二人を養っています。

2011.11.13 公家的⑦(2010年12月20日)

収録は出来ないから、休みの合間に、本の印刷の件で打ち合わせに

行きました。本の印刷とDVDCDのプレスは全部中国でやるつもりです。

包装用のパッケージや袋などを作る工場を運営している義理の弟の紹介で、

趙さんに会いに行きました。

今回は妹の家に泊まっていました。

妹の家は中心からちょっと離れている住宅地にあります。

車庫がない原因なのか、夜になると、ビルの周りあらゆるところに、

車だらけです。ビルの間の道の両側に車が止まっているため、タクシー

はいつもぎりぎり通るぐらいです。

車は延延と並べて、住宅地を越えて、先の海側の大通りまで止まっています。

ここで住む人はせめて「マイホーム」と「マイカー」を持っている普通より

裕福層です。

住宅地の入り口でタクシーを拾うとしたら、止まっている一台の車から女性に

声をかけられました。

「何処へ行きますか。」「金洲です」「50元で送ってあげましょうか。」

寒いし、いいやと思って乗りました。

以前は知らなかったですが、大連ではこのような「タクシー」はかなり多いです。

これは「黒車」と呼ばれています。

「黒車」はタクシーの許可など何にもないのに、お客さんを運ぶという

車のことです。にぎやかな中心にはあんまり無いけど、このような離れている

住宅地などによくありますが、気をつけないとタクシーより高い料金を

取られてしまうのです。

色々な税が無いから、タクシーより稼いでいるらしいです。こうして

職業にする人もいます。

運転手は50に近い女性です。

「これは仕事としてやっていらっしゃいますか」私から聞きました。

「息子のために買った車です。暇で保険料やガソリン代ぐらい稼ぎたいです。」

「息子はおいくつですか。」

22歳です。」

みんなは車も資産として買っているでしょう。果たして車を消費する

力は持続的に持っているでしょうか。近年ある程度お金を持っている

中国人は増えてきましたが、お金の使い方はわからない人は多いようです。

とりあえずほしいものがあればお金を出せる範囲では衝動的に買って

しまうようです。消費の面では上海人は一番冷静的かもしれません。

金洲は大連から近い町です。約束したところで趙さんは迎えに

来てくれました。弟の紹介ですから、「値段の交渉はしないから、

弟のことだと思って見積もってください。」と趙さんに言いました。

かなり安い値段でした。その後その足でDVDのプレスのところに

行くつもりで、今回は誰の紹介もなく、どうしようと思って「趙さん、

今日はお忙しいですか、付き合ってくれませんか。」と頼みました。

趙さんの車に乗りました。

「今回の見積もりはかなり安くしています。正式の領収書は要ら

ないから、出来たのです。」趙さんは言い始めました。

「一枚の正式な領収書は23%税金を払わなければなりません。」

「えっ、会社は赤字でも?」

「そうよ、税金は領収書で払います。税金を払えないぐらいの

取引をしないようにすることです」

「うちの会社は小さいから、月に8、9千元ぐらい税金を払います。

いきなり今月すごく儲かって、3万元の税金を払うと、税務署はすぐに

検査に来ます。来ると対応したり、帳簿を持っていかれたりになると、

仕事は出来なくなるから、そういう場合は、いろいろな工夫して、1万元

以内に収めるようにします。」

「どういうふうに?」

「よそから領収書を買ったりして・・・・」

その手口は説明を聞いても分かりませんでした。

中国の領収書は皆さんは見たことはありますか。

かなり面倒な厳密なものです。番号など色々書くし、切り方は階段の

ように切っていきます。多分偽造できないようにしているでしょう

なるほどいつも不思議に思っていました。

「私達も余計なことしないで、大人しく税金を払いたいです。そうさせ

てくれないから、毎年税務署の担当者にお金をあげるしかないです。」

「いくらぐらいですか。」

「年間千元ぐらいです。会社は小さいから。」

「ただの千元ぐらいのために?」

「まあ彼達は“公家飯”をたべているからね、・・・」

“公家飯”は公務員のことをさしています。

問題があったではないかと疑って検査に来るんではありません。

来ようと思っても口実はないから。

いやらせの理由も必要です。

そうしなければ、どうやってこの千元ぐらいお金を

自分ポケットに入れますか。こうするしかないでしょう。

平穏させたら、誰にも相手にされなくなるでしょう。

金洲の「金座」という店に入りました。DVDのプレスのコーナーを

見つけて、私は相手が値段を出したまで声も出ませんでした。

全部趙さんに任せました。

ここはいわゆる「地下工場」です。つまり偽造品工場です。

こういうところを利用すればかなり安いです。

最後に「日本で使っているDVDも出来るわけ?」と

聞きました。

趙さんのおかげでうまく取引できました。

 

2011.11.13 公家的⑧(2010年12月20日)

水曜日の撮影は無事に終わりました。荷物を片付けているところで、

Gさんは突然に「董さん、残りの費用を払わないと。」と言い出しました。

「費用を払う?最後の商品が出来上がらないと払わないでしょう。」と

気分は本当に悪くなりました。なんか私を馬鹿にしているような感じを

ていました。 

次の日から正式に編集に入りました。私はずっと付き添えないといけ

ません。編集はスタジオでやります。「どうしてスタジオで?」と聞いたら、

「二人だから、音を出さないといけません、オフィスでは出来ない。」

と李さんは言いました。

編集の最中、いきなり大連の有名な歌手が入ってきました。その後一人

の男性も入ってきて、私達を無視して歌の収録の練習が始まりました。

音楽のボリューム大きく上げられて、何にも聞こえなくなりました。

李さんはイヤホンを私の耳につけて続けようと思っていましたが、

それでも何にも聞こえないから、私はイヤホンを取って床に捨てました。

「お金を払わせるかどうか、Gさんに電話してみてください。これ以上

馬鹿にしないで。」今度こそ爆発しました。

男性の方はびっくりしたようで「重なったから、調節すればいいで

しょう。そんなに怒らなくてもいいでしょう」とやっと私達に存在が

気づきました。李さんはGさんに電話した結果は同じ会に会議しつに

移ることにしました。会議室といっても、私のチャイナドレスショーを

撮影の部屋の観客の座席です。

会議室に入ったら、李さんたちはまだ準備しているところで、二人の

従業員は中に入って、遠くから掃除機の線を引き始まりました。

「お二人は何をしていますか。」私は聞きました。

「掃除。」と一人のスタッフは答えました。

「出て行きなさい。掃除の場合じゃないでしょう。」私はどうしても

抑えられなくなりました。

4人のスタッフはいるのに、誰も止めてくれませんでした。

何度か落ち着いて編集は続きました。

最初は4回目の収録の内容ですが、3回目の収録の内容に入ると、

顔の表情はガッラと変わりました。まだまだ元気の無い疲れている

表情でした。

撮影を休む日に、私は何度も画像を見せようと要求しましたが、

時間を合わせてくれませんでした。じっくり見ないとどの程度のもの

になるか分かりません。

私はGさんに電話しました。

3回目の収録は満足できません。やり直したいです。撮り直してくれませんか。」

と頼みました。

「改めてお金を払わなければなりません。」

「見積もった料金は十分含まれているはずです。

それで料金は商品を仕上げるまで全部込み料金でしょう。一回撮影は

いくらかと明細は無いじゃないですか。」

「実はあなたの仕事を受け取ってから、後悔しています。最初は

いいことだと思っていたのに。苦しいですよ。中国人も中国人のプライド

もあります。誰も何でもお金のためではありあせん。みんなあなたのことが

嫌います。苦しいでよす。」彼女は苦しいと連発でした。

私は怒っていたことは誰から聞いたようです。それは彼女にとって差別か

あるいは侮辱かよく分かりません。中国人のプライドまで言っていたから。

本当のプライトがあればちゃんと仕事をすればいいのに・・・

そういうプライドのスローガンを高く掲げて、小さなことさえもろくにも

出来ない中国人は一杯います。

「例えば、誰ですか。」

「メイクさんです。」

メイクさんはこの中のスタッフではないから、平気で言えます。

彼女は一体何を言いたいか分かりません。

私がお客さんですよという常識はここでは通用しなくなりました。

「私はあなた達を困らせることがあれば例を挙げてくれませんか。」

「撮影を撮り直すことです。こちらの原因もありますけど・・・」

「他には?」

「今回はまた撮り直すのを要求します。」

「確かにそうですね。これ以上お金を一元払わないから、撮り直し

たいです。どうしましょうか。今回の仕事は最後までやりたいですか。」

そしていったん感情を抑えて、「Gさん仕事を優先してくれませんか、

撮影はもう一回させてもらいたいです。これは最後にしますので約束します。」

私の料金はもう一度一通り撮影しても余裕が十分あるはずです。気楽に思うとおり

にさせてもらいたかったから、料金をそのままにしたのに、結局・・・・

 「スタジオのほうがスケジュールはもう一杯です。あなたの撮影を優先

すれば、他のキャンセルしかないです。もう私の不満を言わせたし、あなたの

不満を言ったから、スケジュールを調整して、また連絡します。」

私は完全に迷惑をかけている存在になってしまいました。

2011.11.13 インゲン畑に身を隠したおじちゃん(2010年11月10日)

私は小さいころ近所に優しいおじちゃんが住んでいました。そのおじちゃんは村の電気の技術者でテレビまで手作りできました。いつもニコニコして、無口で恥ずかしがりやでした。女性のような清楚な顔をしていました。

農村では最初に畑や野菜畑はみんな一緒でした。つまり社会主義なので、みんなで働いて、みんなで食べたのです。その後、鄧小平さんの政策の「承包責任制」で、畑なども世帯によって分けて個人で持つようになりました。

私の家の隣の野菜畑も世帯ごとに分けていました。夏になるとインゲンを作ります。インゲンの枝が竹にそってぐるぐる登っていき、また竹同士を紐で結び、170センチ以上の高さの屏風のようになります。

人間は中に入るで、外で見えないぐらいです。

ある日、おじちゃんは自分のインゲン畑にインゲンを取りに行きましたが、遠くから一人の女性が自分のインゲン畑から出てきたのを見ました。泥棒に間違えないのに。おじちゃんはなんと他のインゲン畑に隠れてしまいました。

この話を聴いたおばちゃんが「どうして聞いてもしなかったの?自分が隠れたなんてまるであんたが泥棒みたいね。」と怒っていましたが、「相手は女性だから、僕から声をかけたら逆切れされてしまうかもしれませんよ。」とおじちゃんは弁解していました。

今回の流出した中国漁船衝突の映像を見ると、思わずあのかわいいおじちゃんの笑い話を思い出しました。

今はビデオを流出した犯人を騒いで捜していますが、本当に日本政府意図的な行為ではなければ、この「犯人」を中国の船長のように表彰台に立たせて日本の英雄にしなければと思うぐらいです。日本の政府は最初から堂々と公開したら、この余計な事件は起きないではないかと思います。今は本当に犯人探しが必要でしょうか。大事なことはここじゃないでしょう。

20101110

2011.11.13 公家的⑨(2010年12月21日)

Gさんはまた李さんに電話して、李さんは外に出ていきました。

しばらくして李さんは戻ってきて、「明日は収録します。」と李さんは

彼女を説得したみたいです。

「董姐、安心して私はいるからどんな状況になっても必ずちゃんとした

ものを渡すようにします。」と李さんは言い続きました。「さっきの男性は

実はこのスタジオのオーナーの一人です。そもそもこのスタジオの持ち

主です。そのあと、株主としてこの会社に入ってきたそうです。」

このスタジオが入った5Fは全体にカラオケポックスです。スタジオは

その一部だけです。

「彼は録音に来ることはGさんも知らなかったです。ひどいとき録音

している最中のお客さんは中から出して、彼達に譲ることになります。

ここの状況は複雑ですよ。」

・・・・

李さんは荷物を運ぶ間に、音声を担当しているスタッフ良さんは

「つまり、このスタジオはGさんにとって“公家的”です、お金はGさん

のポケットに入っていないから、お客さんは来るか来ないか関係が

ありません。このスタジオは“不差銭児”。」

“不差銭児”は最近の流行語です。“差”は足りていない部分の意味で、

“銭”はお金という意味です。つまりお金は持っているという意味です。

彼は私はGさんがどういう意味か分からないと思って言ってくれたのです。

多分みんな私を見るといらいらして「なんて分からないの?」って。

「私もそろそろやめますよ。Gさんはよそから持ってきた作曲の仕事を

ただでさせられたりして、別にここで作曲の仕事をしていなから、もう

嫌です。」彼は言い続けていました。このスタジオはGさんの劇場ですね。

中国人の「灰色収入」を聞いたことはありますか。

公務員達はもちろんのことですが、普通の会社員も給料だけのことを

考えていません。給料以外の収入を目指しています。

私は今書いたことはまさに中国人の「灰色収入」のことです。

Gさんは別の仕事を取って、自分にものにします。このスタジオも

利用して(使用料だけ払う)スタッフも使います。(例えば作曲など・・)

私のような客さんからものやお金を貰って、ポケットに入れることも

その一つの方法でもあります。私に対して彼女は最初から大きな打算

していました。

それに関して私はずっと意思不明な態度でした。最初に直接に聞いて

いましたが、彼女は要らないといっていたし、これ以上何をすべきか

考えもしていませんでした。

この態度からみて、バックも無いはずです。

じゃこれほど高い料金を見積もったのは何のためでしょう。

今は大きな魚を食べられると思ったのに、食べられないからいらいらして

いるだけです。彼女のやり方はこれほど受付されないと思っていなかった

でしょう。普通の中国人はすぐに反応して、対応するかもしれません。

スタジオに戻って、荷物を片つけているところで、Gさんから

電話がありました。「李さんから聞いたと思いますが、明日のスケジュールを

キャンセルして董さんを優先しました。けれども午後三時ごろから

20分ぐらいの録音はあります。その時だけは長く休んでください。

それで明日は残りの料金を払ってくれませんか。」

「分かりました。」と答えながら、頭を傾げました。

実は次の日スタジオは午後の3時から20分ぐらい録音しかなかったのです。

仕事は終わっていないのに、一一お金を払ってくださいなんて言いますか。

次の日撮影は時間通りに始まりました。

Gさん撮り直してくれてありがとうございます。」と彼女に声をかけました。

「いいえ、あなたは満足できれば、それでいいです。」と心の無い返事を

してくれました。

撮影は終わってから、「Gさん今日はお金を持ってくるのを忘れました。

どうしますか。」と彼女に聞きました。今のところで払うわけありません。

「じゃ明日払いますか?」

「明日は李さんの家に編集に行くのです、あさって5日通りに日本に

帰りますが、12月末にまだ戻ってきます。」

今回は完成するのは無理だと分かってから、いったん日本に帰って、

また戻ってくると決めました。

「李さんに払ってください。払ったサインをしてくれればいいです。」

「分かりました。」

次の日土曜日、朝9時に李さんのところに到着しました。

李さんは中心からちょっと離れている古いマンションで5人ぐらい

の若者と一緒に住んでいます。良さんも一緒です。

6階立てビルの6階にあります。もちろんエレベーターなし。

部屋は入れないぐらい汚くて、一つの部屋に二つぐらいのベッドを

置いてあります。他には全部共同しています。みんな地方から来ている

20代くらいの若者です。

20時まで李さんと急いで編集して、残りは李さんが一人で出来る

ようにしました。もちろんお金を持っていきませんでした。

李さんは本当にまじめで、性格もいい人です。

私はDVDの見積もりを李さんに見せたら「高い」と言っていました

私は「もし李さんはこれより安い値段を出してくれれば、品質も保障

できれば、李さんに任せたいです。このようなビジネスを勉強したら

どうですか。」と言いました。

「董姐はGさんのお客さんですよ。」

「プレスは彼女と関係ないから、彼女はほしいのはお客さんじゃない

でしょう」

李さんにお金の件は是非Gさんと連絡してから日本に帰ってくださいと

頼まれましたが、私はそのまま日本に帰ってきました。

12月27日にまた戻ります。Gさんをどういうふうに処理するか

考えているところです。相手にしないままで何の問題はありません。

ちょっとプレゼントを買ってあげれば、機嫌を直してもらってもっと

色々なことをよくやってもらえます。そこは私の気持ち次第です。

そこまで切り替えるかどうかということです。

このシリーズは行く前にどうしても書き終わりたいです。

長いので、お正月に時間があるときにじっくり読んで下さい。

2011.11.13 大連海関との喧嘩①(2011年1月5日)

明けまして、おめでとうございます。

皆さんお正月いかがお過ごしになりましたか。

私は大連でととにかく忙しかったです。

まるで戦場から帰ってきたような気持ちです。

DVDはうまくやりました。残りは日本で処理しなければならないです。

新年明けたばかりでいきなりこんなレポート・・・・

今日の出来事でした。

最近大連を出入りするとき、出入国の検査に対して、なんとなく違和感を

感じていました。いつも犯人のように何回も顔を見られているから。

これほど違和感を感じるのは大連だけです。

その見方はちょっとだけではなく、すごく見られています。

今回も同じです。

審査員は若い女性です。

彼女の視線はパスポートの写真1回、私の顔は1回、3セットを繰り返しました。

それでもまだぐずぐずして、「顔が違いますね、唇が違いますね・・・」

「多分整形したかもしれません。だってそう言われるとこう答える

しかないでしょう。」私はこの話を口から出すと自分も驚きました。

多分朝から私の機嫌も悪かったかもしれません。 

「私はちょっと聞いただけなのに・・・」

「ちょっとだけ聞く?そんな聞き方はありますか。どうして唇が違うか、

私は知っているわけはないじゃ。気分が悪いです。」

「これは私の仕事です。」

「海関の仕事だと言っても、少し人の気持ちを配慮して、ある程度のマナー

の上でするべきではでしょうか。」

「どうしてそんな態度ですか、私達は中国人じゃないですか、

日本人だったら・・・」

中国の経済はこれほど発展しているのに、この人たちの頭はそれほど

発展していないようです。

「中国人でも、日本人でもみんな人間ですから、政治の味をつけ

ないでください。」私は彼女の話を止めました。

 

「私は何か間違えたことをした?」

「したかどうか分かりませんが、ここに立つとじっと我慢しなければ

ならない気持ちです。」 

リーダーっぽい男性がこちらに来ました。

彼女は私のパスポートをそのリーダーに渡して、「ちょっと聞いた

だけなのに・・・」

彼女はなんと涙が出来てきました。

「中に入ってください。」

私は中に入りました。

彼はいい態度で言うつもりで、「どういうことですか。」

「あいうふうに聞かれると気分が悪いです。

「これは私達の仕事です、理解してほしいです。」

私の話はこの人たちに通じないのはわかっていながら・・・

「理解します、あなた達の仕事に対して理解します。

手続きが終わりましたか。終わったら通らせてください。」

「こんな態度で・・・」

「・・・・」

「身分証明書を出してください。」

「ありません。」あの臨時の身分証明書は去年の1124日にすでに

期限が切れてしまいました。正式の身分証明書はまだ取りに行っていません。

「身分証明書がないの?」驚いたようです。

「そうです。戸籍は戻したばかりで、まだ身分証明書は作っていない。」

「それは照合しなければなりません。」

「飛行機の時間を遅らせないでください。」

彼は事務室に入りました。

時間がかかりそうです、椅子に座りました。

 彼は事務室からが出てきて、「戸籍は地方にありますね、日本で何を

やっていますか。・・・・」

彼は私がどんなものか知りたいか、あるいは友達になりたいか、

よく分かりません。中国では仕事の関係を利用して、個人の関係に

することは普通だし、うまく生きる一つのコツでもあります。

やはり日本が嫌いと言いながら、日本から帰ってきた人間ぐらいも

「魅力的」に感じるのは現実です

その時、さっきの彼女はいきなり泣きながら、席から離れて走り

出して私の後ろの事務室に駆け込みました。そのあたりは騒然し

ていました。

リーダーの男性はすぐ他の人が替わってあげるように

指示しました。

また何か起きたかのように見えましたが、何にもなかったようです。

「私の件でこれほど泣くんですか。また何か起きたかと思った。

このぐらいのことで泣いたり仕事を投げ出したりして、

甘え過ぎていませんか。ちゃんと教育してあげていない

じゃないですか。」

そのリーダーに向って話していました。

「ここで5年間働いて、あなたのようなお客さんが始めて会った。」

彼は苛立っています。

「それはよかった、一人目がいれば、二人目はありえます。

これからですね。」

そうですね、いつも人がうらやましがっている職業を手にし、

人の上に立っていると思い込んでいる人達はこんな待遇されるのが

ありえないでしょう。

その時事務室から一人の男性が出てきて、勢いで私に向ってきて

、口もぶつぶつして、喧嘩し

ようとしていました。二人の女性は

彼を止めていました。

2011.11.13 大連海関との喧嘩②(2011年1月5日)

国の機関の制服を着て喧嘩されるのは初めてではありません。

私は動じせずに彼に向って「何?喧嘩したいの?その制服でこの大勢の

お客さんの前で?これ以上笑わせないでよ」

私はもう10年前に、パスポートをなくしたため大連の公安部で泣き

崩れて、それでも公安部の制服を着ている女性の幹部に“堂々と”

みんなの前で喧嘩されたあの時の小娘じゃなくなりました。時代も

変わって来たし。

「公安部なら私を拘束も出来るけど、残念です。罪をかぶせたら、

もうあなた達の手から逃げられなくなるでしょう・・・」

 「そんなことをしないよ。」リーダーが言いました」 

「照合」が終わったようで、彼は私のパスポートをもって、さっきの

女性と喧嘩したところで手続きを済んで渡してくれました。

「仕事は無い人は沢山いるのよ、やりたくなければ、帰らせたほう

がいいじゃないですか。」と言ってから、安全検査のほうに行こうと思うと、

リーダーは「ちょっと待ってちょっと待って戻ってきて・・」

「何?終わっていないの?」

彼は私のパスポートを力強く引っ張って、「一言だけを言いときます。

あなたの教育はいりません。」

と私を何も言わせないように、言い残して、「勝利」の姿で事務室の

ほうに向いました。 

私は安全検査のほうに向って、この通りに日本に帰ってきました。

中国人は絶対言葉では負けないようにはします。沈黙すると負けると

同じだと思われます。海官もお客さんととことん勝負します。

今回のDVDの件で前後一ヶ月ぐらい大連の生活は、そもそも

持っている言葉の能力は大分鍛えられたようです。

海関は一つの都市の的口です。海官から態度と表情から、一つの都市の

風貌を臨むことは出来ます。

大連の海官は、いつも厳しい表情して、威厳がたっぷりです。

まるで自分はどれほど偉いか、他人が知らないようです。

しかし深センに行くと、雰囲気が全然変わります。

みんなソフトで笑顔を見せます。

大連は沿海都市といっても、私から見れば人間の素質と意識はかなり

遅れている都市です。

201115

2011.11.13 公家的⑩(2011年1月12日)

大連のDVDの製作はどうなっているか、皆さんは気になって

いらっしゃるでしょう。

実は今回に行くときGさんのために化粧品を買ってあげました。

この化粧品は日本でも高級なもので、妹達にもいつも買ってあげる

ものです。

私の性格は決してGさんのようなやり方を受け付けるものではありません。

ここまでやってきたから、何とかうまく行きたかったです。

大連に着いた次の日、まず李さんのところにDVDの編集をチェックに

行きました。

それからGさんに電話しました。「今回はね、妹達に化粧品を買うとき、

ついでに、Gさんにも買ってきました。この化粧品は私も使っています。」

実は私は使っていません。けれども中国人は人を信用しないので、私が

使うものなら、悪いものではないということです。

「ありがとう。」以外かもしれない、彼女はその一言だけでした。少しでも

遠慮しようとしていませんでした。望んだところでしょう。

「それでね、チャイナドレスショーの件ですが、これは完全に

私の責任です。」歩きはちゃんと出来ていなかったから、

撮り直したいです。」

Gさんは嫌な気持ちが一切はなく、「CDの録音はどうなっていますか。」

8月のときに一度そこで録音していましたが、あの時咳がまだ止まらない

ときでした。今回のDVDの製作の料金に込みで、このCDをやり直すこと

にしました。前回は時間が無くて、今回でやるつもりでした。

「録音はすでに予約してあります。」

「じゃ録音が終わったら、撮りましょう。また他に何か

問題がありますか。」

ほらGさんは全面的に応援するような姿勢を変えてくれました。

こういうものです。

「今はありません。」

それで31日、1日に連続に録音しました。

2日に1日別の写真館で写真を撮りました。

3日にチャイナドレスショーを撮ることになります。

朝、時間になっても、Gさんの姿が見えませんでした。

電話しても出てくれませんでした。

李さんは来たら、「今日はGさんは来ない」と言いました。

これは何でしょう。今日は最終のお金を持ってきてくださいといってい

たのに・・・来なくても一言もいていませんでした。

撮影は始まりましたが、ライドが壊れたてめ、撮影は出来なくなりました。

李さんは諦めようとしているようで、私は「ここまできたら、もう

引き返すことはありません。買ってもいいし、借りてもいいです。

お金は私から出してもいいです。・・・」

李さんは電話でGさんと話してから、買いに行ったそうですが、

買えなくて、結局どこかで借りたようです。

何とか撮影は終わりました。

お金を払うとき、Gさんの姿もありません。

どういう意味でしょう。

私はGさんに電話しました。

「お支払いはどうすればいいでしょうか。それで最後に2000元を

安くしてくれると言っていましたが、まあ追加の撮影もあったし、

どうでしょう、可能ですか。」値引きする気持ちが無かったですが、

わざと試して聞いてみました。

「安くするのは今回は難しくなるから、今後また録音に来るとき、

その時改めてしましょう。」

「分かりました。じゃ化粧品はどうしますか。」

「化粧品も録音のスタッフに渡しておいてください。」

「だったら明日李さんのところに編集に行くから、李さんに渡します。」

Gさんは最初から最後まで化粧品は要らないと一言も言って

いませんでした。

Gさんはわざと避けています。化粧品もほしい、けど貰ったら

値引きされるとそうしようと、また今回の料金はすでに周りに

知られてしまったか、あるいは追加に撮影していたから、難しくなるか、

あるいはメンズのために、はっきりものがほしいという本心が見られて

しまうか、どの原因はよく分かりません。私から見れば最後の原因が

大きいでしょう。

けれども仕事はこういう形で終了するものではないでしょう。

お金を払うと、私は正式な領収書はほしいと言っていました。

スタッフはGさんに電話したら、彼女は「領収書を貰うなら、

5%の税金を払わなければなりません。日本では正式な領収書と関係

ないでしょう」と言っていました。

「そんなことは最初から聞いていなかったし・・日本はねもっと

厳しいですよ。中国には正式な領収書があることもみんな知っているし、

これじゃないと税理士はやってくれませんよ。」私の意地悪でした。

「どんな名目の領収書はほしいですか、例えば食事とか・・・」

「食事はこの金額があんまり大きいでしょう。」

CDはどうですか。」

「それは大丈夫です。急ぐじゃないから、今回は持っていかなくても

大丈夫です。」

「じゃあ、スタジオの領収書を渡せます。明日は正式に仕事は始まるので、

領収書は買いに行きます。領収書は用意していないですよ。

普通は正式な領収書は要らないから。董さんの妹に連絡してもらえませんか、

妹に渡します。」

「じゃお願いします。」

「電子城」(電子製品を売っているところ)でものを買うときも、

正式な領収書がほしかれば 4%の税金を払うと言われていました。

みんな金額は違います。一体どういうことか分かりません。

次の日私は李さんのところに化粧品を持っていくのを忘れました。

5日の飛行機なので、4日のスケジュールはビッシリと詰まって

いました。夕方にやっと李さんのところから出られて、妹に電話して、

二人は例の健康センターで合流しました。

正直に言うと化粧品をGさんに渡すべきかどうかが迷っていました。

会おうともしてくれない人に、プレゼントをあげるでしょうか。

けれども一応口に出したことですから、いいやと思っていました。

Gさんに渡すようにと妹に頼んだら、妹に強く止められました。

「今回は必要がありません。今回の件はもう終わりました。ちゃんと

料金を払ったし・・・次回はあればその時にあげれば間に合います。

中国では人を使うとき、その時に、その時にやれば遅くありませんよ。」

妹達から見れば私はもう外国人です。

「しかし、彼女に言っていたから・・・それで今回もよくやって

くれたし・・・」

「それは彼女の仕事じゃないですか・・・お姉さんはそんな

信用を守って、何に意味がありますか・・・相手をみたほうが

いいじゃないですか」

私は化粧品をとりあえず妹に預けましたが、なんか「詐欺師」の

気持ちになってしまったようです。

DVDの編集は全て終了しましたが、メニューを作るという段階で、

李さんは作ったら、日本式に返還できなくなると言っていました。

そういう意味で、最後の完成は出来ていません。これはGさんたち

の責任ですが、そんなことを言ってもしょうがないでしょう。

またせっかく録音したCDは雑音が多いため、使えません。

(ちょうど元旦の間に、カラオケボックスはあんまり込んでいて、

騒音はスタジオまで入ってきたから。)

日本でやり直すと考えています。

日本に帰ってからGさんと連絡もしていません。このような問題は

一度彼女と話すべきですが、話しても、そのために大連にもう一度戻る

ことは出来ません。

化粧品はどうなっているか、領収書はどうすればいいか、そのままに・・・

2011.11.13 宇宙から舞い降りたお金(2011年1月15日)

私の地元は政府に企画された話をしましたね。

そこには港を建設されるそうです。またビルを建てられて、工場や大学

や病院も色々な大きな施設が引越してくるそうです。

これまでたいした許可もなく、みんな海をそって自分で養殖場を作ったりして

きました。今回は政府まず徴収するのは養殖場です。先に何年までの

利益分まで全部買い取られます。

この日が夢のようにやって来ました。11月辺りに、この小さな町には一夜で

億万長者は多数が誕生しました。

人民元で1億元以上を貰う人は10人ぐらい、また千元以上の人は・・・

百万元以上の人は・・・具体的な数字は分かりません。

(1億元は15億円になり、1千万元は1,5億円になります。今の為替だと

1,3億円弱になります。)

 (2億元を貰った人は年間1,5億円ぐらいの赤字なのに・・・)

この位のお金は宇宙から舞い降りたように、その人たちの手に入ってきました。

ここで生まれて育った人たちはこれほどのお金を見るのははじめでしょう。

この年末は1500万円以上の車は何台もこの小さな町に入ってきました。

(つまり1,5億円を貰ったら、1500万円の車を買います。)

普通の車は言うまでもありません。

お金があったらまず買いたいのはやはり車です。

これまでこの町では何十万元を集めるのは決して簡単なことではあり

ませんでしたが、今はこれほど大金が舞い込んできて、故郷の人たちの

ビジネスはきっと広げていくでしょう。

しかしお金というものは安易に入ると、簡単に使ってしまうのです。

地元から遠くない村は何年前にこのようなことは起きました。

 お金を貰って、豪華な車に乗って、毎日遊んで暮らすようになった

“先駆者達”は、今はご飯を食べられなくて、車を売る人も少なくない

そうです。

今は興奮で眠れない人たちは56年経つとまだ笑っているかあるいは

泣いているか分かりません。

またこの港を作ることだけで、どのぐらい目で見えない億万長者を作って

しまうかも分かりません。(権限を持っている官僚たち)

そんな流れで、遠い日本にいる私はちょっぴりのお得も得られます。

それは戸籍です。

もし中の住民まで動かすと、戸籍だけで一人は18万元ぐらいもらえる

そうです。

(いつもらえるか まだ分かりません。)

私の戸籍は地元に戻したことは、どれほど奇跡なのか分かりますか。()

また一つの小さな投資もこの人たちのお金を貰うまえに、

すでにやり始めました。一歩だけ遅れると、とられてしまいそうです。

中国の経済はこうして伸びて続いています

2011115

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