2011.12.30 「叱り」になれていない中国人
去年のノーベル平和賞にめぐる波紋がまだ覚えているでしょう。
ノーベル賞の委員会の方が「国際のステージに登場している中国政府は
これから批判に慣れるべきだ」と言っていました。
政治のことは私が詳しくありません。けれども共産党の一党で独裁してきて、
賛美されるばかりで、批判を許せないのが事実です。
(一党の独裁に対して、賛否的な意見はありません。)
家庭に例えば、一つの政府は一つの家族の親のような存在です。
国民は子供のように、親の背中を見て育てられます。
親はこんな性格だったら、子供はどうなんでしょう。
以前も「どうして中国人がすぐに仕事をやめるのですか」という日本人の疑問を
聞いたことがあります。仕事上でちょっとだけのミスなどを指摘すると、
すぐに怒ったり、やめたりします。そうでなければ、いろいろな言い訳と理由を説明して反論します。
私の記憶では、中国で職場では、相手の仕事ぶりに日本人のように直接に注意はしません。
直接の上司などなら、まだいいですが、関係のない人なら、「あなたと何の関係がないでしょう。」と反発されるに違いがありません。だから余計のことが誰も言いません。
今はどこまで改善されるか分かりませんが、日本に長くいる私はその感覚が時には忘れています。
具体的な例を挙げましょう。
教室で雇っている中国人講師の話です。
私は生徒の不満や文句あるいは意見などをそのまま講師に伝えると、敵に回されるようなことになったことがありました。そのまま受け入れ改善することはなく、感情的に私にぶつかってきます。
全員ではありませんが、何人かいました。
「そんなことがありえない」どか「どうして私を否定するのですか」どか・・・
もし反論することはなければ、態度で私に不満を示します。
中国人を注意しても相手の「プライド」を傷つけないように、相手の気持ちをよくするように気をつけることを忘れていたからです。
そこですぐに「やめる」と言い出す習慣もあります。
もちろんやめるというケースはアルバイトの形が多いです。
「やめる」といっても引き止めてほしいです。
以前に社員として雇っていた二胡講師が「どうなの?やるかやらないかと言ってください。」と壁に角に私を追い詰めていました。結局私は「いてください」と言わなかったから、本当はやめたくない彼女は仕事を投げ出してやめました。
自分の「プライド」のために、私に妥協してほしいケースは何回もあります。
しかし、日本ではすべて仕事をベースにして、自分の意思を尊重されて、自分の意思で決めることを彼女たちが知らないからです。
仕事上の注意ぐらいで、しかられると思われています。
結局私は大連の税関と喧嘩するとき、「貴方の教育がいらない」と「私のお母さんが地面に痰をはいたら、私が注意すればいいですが、あなたに言われたくない」という台詞と同じことです。
親の姿勢がよく慣れれば、子供も自然によくなります。
Yuyi
2011年12月30日 in上海