今年のお正月に上海にいたとき、偶然あるテレビの有名な司会者の
インタビューの番組を見ました。
懐かしい方でした。
中央テレビの色々な有名な番組を担当していました。小さいころからこの方の
の番組を見て育ちました。
(あの時期、中国のテレビ番組は新しい時期に入り、私はテレビの司会者になる
妄想もしていました。「この番組ならお姉さんは出来る。」
といつも推薦してくれたのが妹達でした。コネなど何にもない田舎の娘!苦笑)
その方は大晦日の「春晩」(日本の紅白大会のようなもの)も
何年も担当していました。
現在年を取ったので、テレビにあまり出なくなりました。
「もしまた誘われれば、もう一度「春晩」を司会していただく機会が
あれば、お受けになりますか。」と聞かれたときの
彼の答えに私は非常に気になっていました。
「過ぎた1ページはもう過ぎました。もちろん「春晩」が私にとって
思い出の多い、懐かしい番組だし、大好きです。ただし私は「もしも」というよ
うな「仮定」はしない人間です。」
どうして「喜んで受ける」というような言い方しないでしょう。
これは中国人の「曖昧」表現です。
「受けたい」という気持ちがあっても、表に出してはいけません。けれども「受けたくない」という気持ちでもありません。「喜んで受ける」と言ったら、万が一誰も誘っ
てくれなければ、それは中国人にとって、面子がなくなるわけです。
「受けない」とはっきり言ったら、機会をなくしてしまうでしょう。
ですから「仮定はしません」から、誰かから誘われるのを待っているわけではありませ
んが、万が一誘われたら、受けるでしょう」というニュアンスです。
「重みのある方」ですから、軽く「喜んで受けたい」より、散々誘わ
れなければ出ないよという姿勢でなければならないでしょう。
上海の友達に新しい恋人が出来ました。本当は気に入っているのに、確実な関係
が確立されていないとき、彼女がいつも「だれだれが私の返事を待っている、
この人よりいい条件・・・・」のような言い方をします。
うらやましいことを聞かされましたが、なんとなく納得できません。振られた
ときの面子を保つために、「逃げ道」を準備しています。
本当は相手のお金を気に入っているのに、「彼の条件を見ているのじゃない、お
金のためじゃない・・・」と言い張っているのです。どこかで辻褄の合わない
ところが必ず出てくるでしょう。
振られるより、自ら振った、たいした相手ではないなどのことを言い張って、面子を保ちます。
みんなではないけれども、このような人が少なくありません。
日本に長くいる私が阿呆に見えるかよく分かりませんが、私には見えるものが
彼女たちにはあと10年も経っても見えないでしょう。
有る中国語の諺で「売春婦にもなりたいし、貞婦碑ももらいたい」、これは官僚達
にはぴったりの表現として、中国の根深い文化だと言わざるを得ないでしょうで
しょう。
中国語豆知識:
http://chinalinear.com/blog/?cat=3
yuyiは
2012年2月27日