2011.11.18 黄梅戯 「天仙配」
黄梅戯 「天仙配」
黄梅戯はもともと「黄梅調」または「采茶戯」と呼ばれ、京劇、越劇、評劇、豫劇とともに中国五大劇(戯曲)の一つ, 18世紀後半に安徽、湖北、江西の3省が接する地域で形作られた一種の民間芸能です。そのうちの一派が徐々に東の安徽省懐寧県を中心とする安慶地区へと移動し、現地の民間芸能と結びついて歌やセリフも現地の言葉が使われるようになり、自らの特徴である「懐腔」あるいは「懐調」が出来上がってきました。これが現在の黄梅戯の前身です。
19世紀半ばには、「青陽腔」と「徽調」の影響を受け、戯劇として形づくられました。そして黄梅戯は戯劇の一種として、だんだんと世間に知られるようになってゆきました。初期の黄梅戯の表現方法は歌と踊りを同時に使ったもので、ありのままの日常生活の情景を重点的に取りこみ、特に決まった形式はありませんでした。
黄梅戯の歴史はそれほど古くなく、大枠が出来上がったのは20世紀はじめです。発展を見せたのは、新中国成立以降のことになります。
黄梅戯の起源
黄梅戯は唐代の初から起源してきたが、宋代民歌の発展とともに、元代の雑劇に影響され、明代になった後はもう自分なりの特長を形成し、広く好かれていた。最初の形式は黄梅一帯の采茶歌である。お茶を摘みながら、歌う歌だったが、生活の雰囲気にたっぷりで、民間的なモノなんだが、上層貴族にでも好かれ、非常に流行している。黄梅戯 は安慶の方言で歌って、民間生活から取材されるから、人々に親しんでいる。
内容なら「大戯三十六本、小戯七十二折」という言い方もある。大戯は主に当時人が階級の圧迫や貧富の格差にの不満、自由な生活にの憧れを表現する。たとえば、「蕎麦記」、「告糧官」、「天仙配」など。小戯はほとんど農村に暮らしている農民たちの生活を表す。たとえば、「点大麦」、「紡棉紗」、「売闘箩」など。
黄梅戯は花腔、彩腔、主調に分ける。花腔は主に小戯(小型の戯曲)で生活に近い寸劇を指し、生活のいぶき豊かで素朴な味わいが特徴です;彩腔は小型の花腔の戯曲によく使用された;主調は伝統の正本大戯でよく使われるもので、平词、火攻、二行、三行に分けて、平词は節回しを指し、大きな立ち回りの叙述に使います。
花腔は主に小戯、民歌の特色を持っている。平词はいつも長い叙述が含まれる。
『天仙配』 (てんせんばい)は、中国の説話。かなり古くから小説や戯曲などの題材とされてきた。玉帝の娘である七仙女と人間の男性・董永と恋に落ちる異類婚姻譚のひとつ。中国では、『董永と七仙女』の名で知られ、四大民間説話の一つとされている。
漢王朝、漢蜀(今の湖北省孝感市)に董永という男がいた。幼くして母をなくし、父子でなんとか生活をやりくりしていたが、ついにその父親まで死んでしまった。葬式を出すお金もないので、自分の身を売り、そのお金で父の葬式を出そうとする,その様子を天から見ていた玉皇大帝は、董永の孝行息子ぶりに感動し、娘の張天羽(七仙女)を人間世界に派遣し、董永を助けることにする。 やがて、一緒に暮らすうち二人の間に愛情が芽生え、結婚してしまう。天界では、勝手に人間と結婚してはならない(許可がないと、人間世界へ降りていったり、人間と接触することすら許されない)という掟があるので、玉皇大帝の命令で、七仙女は天界へと連れ戻されてしまう
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二胡講師:趙玉棟 の学校の宿題