2011.11.13 私は見ていた中国の皇族(2010年10月16日)
皆さん、格格様の話をお待たせしました
この格格様を書こうと思うとき、思わず慎重になりました。
この一族は日本とのかかわりが深く、私のペンでこの格格様は日本に初デビューになるかもしれません。責任の重さを感じます。
夜、長い電話で格格伯母さんを「インタビュー」しました。
私は受けた印象と彼女から聞き出す情報をあわせて書かせていただきます。
格格様と知り合いになったきっかけは、去年北京である「詐欺師集団」が行った全世界の中国人企業家の大会でした。このような活動は北京で盛んでおり、釣魚台で宿泊や人民大会堂で集会などの条件で、世界の各国の華僑を呼び戻すということで、実際に何にも実現できていませんでした。今でも色々な集団が色々な名目でまだやっています。
3泊4日間の会議の最後の日に、格格様と出会いました。彼女はずっとこの集団の中のアメリカから来た台湾人達の面倒を見ていました。最初「格格」と聞いたとき、「何?」と理解できませんでした。よく話を聞くと、愛新覚羅の遺族だとやっと分かりました。
実はこの一族には二人しか残っていません。格格様とお父様です。お父様は95歳で、格格様は58歳で、この二人は亡くなられたら、この一族はなくなるということです。
お父様は末期皇帝の溥義の秘書と日本語通訳をやっていらしたそうです。
(末期皇帝は西太皇の妹の息子です)
本来は五人兄弟でみんな日中戦争中に餓死されたそうです。格格様は中国が解放してから生まれたのです。お母様は早いうちになくなれたそうです。 お父様の兄は日本に連れられて、日本で骨を埋めたそうです。日本の「美日新聞」の創始人だそうです。(この新聞がご存な方はいらっしゃいますか?)
日本の皆さんはきっと日本の皇室のイメージと連想していらっしゃるでしょう。
毛沢東時代から中国の特別な貴族はなくされました。格格様は特別な出身以外はほとんど特別なことがありません。見た目では普通の庶民と何も変わりません。
国から住む家をもらっています。北京は天安門を中心に、一回り、二回り(1還、2還と呼びます)のように外側に延長していきます。外側ほど安いです。格格様は2還に住んでいらっしゃいます。私は前回に話していたあの軍隊のホテルでは一つ狭い接客室をもらっています。
車も一台と運転手一名と配置されています。またお父さんと二人で北京ではぎりぎりできるぐらいの生活費をもらっています。これらはこの一族の特別な待遇です。
知り合いになってから、よく電話で格格様と話していました。彼女は日本の補正下着が大好きで、ビジネスをやりたいと言っていました。私はメーカを探してサンプルを作って、前回の「火車の初体験」で書いたように北京に持っていきました。
格格様は予約してくれた軍隊のホテルに着き、部屋に入ってから、私は手荷物を整理しているところで、格格様は「このカバンがいい、くれる?」と言いました。
私はカバンの中の荷物を出して、格格様のために買ってきた薬も一緒に「はい、あげます」と渡しました。
お昼の食事が終わってから、格格様は用事でいなくなりました。私は友達と会って、夜ホテルに戻りました。格格様と何回も電話しても、つながらなかったです。10時ぐらいになると格格様は部屋に入ってきました。
ご自分の宿泊の必要なものを全部持ってきました。「えっ、ここに泊るの?」「そうよ。」
「一つのベッドでいいですか。」「大丈夫!」
そうですか。まあ日本人ならびっくりするかもしれませんが、私は平気ですけど、ちょっと意外でした。
深夜まで二人で話しました。その時この一族について何にも聞いていませんでした。
子供もいない、離婚したようです。話を聴くと、老後への不安もあり、私が北京に帰ってきてほしいような話でした。今でも電話すると北京に帰ってきてほしいと口説いています。
次の日、私は履いていた靴下やズボンが何でも気に入り、全部ほしいみたいで、「ちょっとこの方はどうしたんでしょう」と思い始めました。
また補正下着の話ですが、本来私は手伝うだけにするつもりでしたが、格格様は全然信用してくれなくて、これ以上値段を値切られてしまって、私は呆れていました。
(いいえ、私は日本的な考え方で相手に伝わらなかったようです。)ちょうど北京は雪が降り、部屋には暖房も無く、(中国北のほうでは決まっている時間で暖房を送るので、その前に急に冷え込んだりするとき、我慢するしかないです)、布団さえも一枚も多めに出してもらえないし、私はそのまま風邪も引いてしまい、臨時的にスケジュールを変更して、上海に飛びました。
それからしばらく格格様と連絡を取りませんでした。北京に関して情報が必要なときだけに電話したりしました。
格格様は確かに貧乏に見えました。着ている者や持っているものなどはいいものはありません。ウールジャケットさえも一枚しか持っていないそうです。一緒に泊るときに化粧品さえも持っていませんでした。どうしてここまで貧乏なのか、分かりません。
今回はこの文章を書くために、じっくり格格様の身の上話を聞きだしました。それで急に格格様のことは少し分かるような気がします。
格格様はいつも人からものをもらうことに慣れているから、国からもらうことと、また色々な人たちから貰おうとしています。特に海外から帰ってきた人たちは格格様の狙いです。
(すすんであげる人がいるはず)北京の人脈を利用して、外の人間達に便宜を与えて、その中で少し生活の足し物を得たりしています。国内ではお金と権力は無ければ、身分はどうであれ、相手にされないでしょう。
しかも格格様は中国の清朝の280年の歴史の最後の宝だとご自分もそう思っていらっしゃるようです。私には特別なのかあるいは誰にもこう甘えて、貰うのは当たり前と思っているか分かりません。
昨夜の電話で思わず格格様を同情し始めました。
環境の原因なのか、教育の原因なのか、格格様は皇室の品格を保っていません。子供さえも生みたくなかった理由は何なのか、本当は心に深い傷を負い、この一族を本気で絶滅させたいなのか、深く聞けませんでした。
長い年月、格格様はこの一族を背負って、色々な経験して、乗り越えてきたでしょう。特別に生まれてきたではないのに、いいことも悪いことも特別に扱いされてきたでしょう。あの「文化大革命」をどうやって乗り越えてきたか、この一族の平穏はいつから戻ってきたか、本当は知りたいです。
私は「胡錦涛と温家宝に手紙を出したいです、お二人の手に届く方法はありますか」と聞いたら、「方法はありません。」と答えられました。
格格様は日本に来たがっています。「日本と文化を交流したい」と言っていました。
どんな文化交流できるか、格格様の宮廷文化には何が残っているか、どのようなものを見せられるか、私は分かりません。
今年私の大事な発音教材の仕事を片付けたら、来年はちょっと研究してみようと思っています。なにしろ清朝の最後の宝の要望には私の力でできれば少しでも答えてあげようと思っております。皆さんいいアイデアがあれば教えてください。
2010年10月16日