2011.11.13 埋められない心の穴(2010年9月25日)
埋められない心の穴(2010年9月25日)
今夜特に眠れない・・・・
実は私は今回大連で大きな悲しみに包まれながら、色々なことをこなしてきました。
19日に大連に帰る予定だったですが、妙に飛行機に遅れて、成田に一日留まりました。
この日に、私の人生の大事な相談役がなくなれました。
20日の午後に大連に着いたら、お母さんに電話したら、父が葬式に行っているということでした。最後の見送りも間に合いそうもなし、後に行っても、伯母を泣かせるしかなんにもならないため、控えました。
この方はかつて父の先生であり、地元の政府で会計をしていました。地元では珍しい品格のあり、周りから愛されていた方です。私の親はただの農民で相談の相手にはならなくて小さいごろから何でも自分で決めてやってきましたが、大事なときにいつもこの方に相談させてもらいました。
日本に来てから、この方の家も市に引っ越しました。それから一度も会っていませんでした。私は「いつか会いに行き、この十何年のやっていることを報告します」とずっと頭だけで考えていました。私はやっていることに一番頷いてくれる方なのです。
そう思っていても、行動はありませんでした。まだまだ時間があると思っていました。すでに70歳ぐらいになっているに。
確かにあんまり余裕はなかったですが、今から見ればただの口実にすぎませんでした。
本当になくなられたら、その寂しさと悔しさと悲しさに一気に飲み込まれました。やっとこの一週間ぐらい少し落ち着くようになりました。
日本は忙しい国です。日本中の皆さんはお忙しいです。同じ都市に住んでいても何年も会っていないのも当たり前のことです
私は日本に来てからの10年間の生活では、学んだこととやっていたことの量は中国での30年に匹敵したものだと言っても過言でもありません。
しかし私は仮にどんなに成功しても幸せになってもこのような穴を埋めることにはなりません。
皆さんはお忙しい無意識なところで、大事なこと、大事なもの、大事な人、大事な心を私と同じようにどこかに忘れ物のようにしていませんか。
今夜やっと伯母に電話が出来ましたが、「よくお父さんに聞いていましたよ、“あの子が元気ですか”」と伯母が泣きながら言ってくれました。
今回の発表会の機に、ずっと何年も会っていない日本語学校の先生達に声をかけました。
9月25日