2011.11.13 公家的⑤(2010年12月17日)
とりあえず、とことん休みましょう。
日曜日の夕方、幼馴染の艶ちゃんの家に行きました。
艶ちゃんは海の近くの山の元にあります。
6階立てのビルの6階です。エレベーターなし。
艶ちゃんは私と同じで田舎の生まれ育ちです。隣の村でした。
小学校のとき県で朗読大会で知り合いしました。
それから中学校になると同じ学校でした。
私は小学校から専門学校までの唯一の連絡を保っている友達です。
彼女は二年も浪人して、大連理工大学に入りました。
家も貧乏で、家族全員の希望として彼女を支えて、大学に送り込みました。
大学に行くのは唯一の生きる道だとそのとき彼女は思っていました。
大学を卒業して、すぐに結婚しました。
姑は貿易会社を経営して、義理のお父さんは弁護士です。
当時大連ではお金持ちでした。
彼女はその家庭を気に入り、家族を助ける一つの手段
だと思っていたでしょう。
姑は彼女の能力を気に入り、田舎の娘が仕事の出来ない
息子の代わりに家業をちゃんと
守ってくれるだろうと思っていたでしょう。
やはり旦那さんとうまく行かずに、息子は8歳のとき離婚しました。
彼女も姑の会社から離れて、独立して同じ貿易会社を設立しました。
近年会社はだんだんよくなってきて、去年このマンションを購入して、
今年また新しいオフィスを買い換えました。広々で立地のいいオフィスです
だんだん会社らしくなってきました。
艶ちゃんは腕を振舞って、手料理でもてなしてくれました。
「あら、いつごろからこんな主婦っぽくなって来ましたか。」
「このマンションを購入してから、私の料理は全部前の姑から
学んだものです。姑の料理は上手ですよ。お母さんより姑からの
影響は大きいですね。私達の田舎のお母さん達は、ろくな料理は
できないじゃ、まあ、ろくな食べ物も無かったし・・・」
私は窓の外の森を眺めながら「ねえ、艶ちゃんもし私達は
上海や北京のような大都市ではなくても、大連市内に生まれてきたら、
ただの普通の家庭でも、私達の人生はどうなるでしょう。」
「どうなるか分からないですが、せめて10年間の時間を節約できるでしょう。」
10年間、10年の青春は決してお金で計算できるものではありません。