2011.11.13 中国の火車の初体験(2010年10月9日)
中国の火車と言えば、日本の電車のようなものです。まだ新幹線などは無い時代は、遠距離移動には火車はメインです。他には飛行機しかありませんでした。今新幹線はあちこち作られている最中ですが、正式に運伝開始のところもあります。私の地元にも新幹線が通るそうです。
初めて大連を離れて上海に行くときは、飛行機でした。それから全部飛行機で、火車に一度も乗ったことはありません。すぐ下の妹が北京に引越してから、両親は行くたびに火車を利用して、一晩寝れば、北京に着くそうです。話を聞くとかなり快適そうです。
去年の11月ごろ、私は日本から大連へ、それから北京、上海へという移動の路線を計画しました。
一晩寝れば北京に着くので、時間的には節約できるし、安いため、火車で行こうと決めました。
一人でチケットを購入しました。260元ぐらいと覚えています。両親はいつも450元ぐらいじゃないかと不思議に思っていました。
出発の日に、夜9時の火車ですが、一人で部屋でうとうと寝てしまいました。いきなり眼が覚めると、8時半でした。間に合うか間に合わないか分かりません。とにかく行ってみるしかなかったです。
タクシーに乗り、10分前に着きました。この日に大連は急に冷え込んで、雪が降っていました。荷物は大きくて重かったです。駅内の地面はでこぼこ、エスかレターは一つもありません。スーツケースを引いても進まないから、出来るだけ上に持ち上げるようにしていました。どうやってホームまで行ったか覚えていませんでした。階段を下りて、火車はすでに起動して、駅員さんは各車両の入り口できちんと立って、発車を待っている状態でした。
でこぼこのホームにはスーツケースはなかなか動きませんが、みんな私を見るだけで、誰も手を伸ばしてくれませんでした。日本に慣れたら、ついつい期待してしまうのです。
やっと自分の車両を見つけて、乗り込んだら、廊下に男女とも立ったり、座ったり人はいっぱいでした。私は思わず「男女を分けていないの」と口に出しました。「ハハハ・・・」と爆笑されました。「一晩寝るから、男女を分けるでしょう」と思い込みました。自分の席の番号を見つけたら、なんと一つの区切りの中には6人で3段ベッドでした。
「どうして6人?4人じゃないですか?」
「それは柔臥でしょう。」
「チケットを買うとき、何にも言ってくれませんでしたよ。」
「それは自分から言わなければ、硬臥になるでしょう。」
日本でサービスされるのに慣れたら、日本を出ると生活能力は落ちてしまうのです。
3ベッドの一番上でした。誰かが私の大きなスーツケースを一番下に入れてくれた。
服を着たままに、上に上がったら、息ができないような感じでした。座るだけで頭が上がらないし、狭くて、体を動けませんでした。その時後悔して仕方が無かったのです。
車内にはみんな若者です。だんだん静かになって、眠りに入ったでしょう。息を呑んで横になるしかありませんでした。腰が痛くなってきました。冷たいから、大連で臨時に買ったウールジャケットを腰に当てて、そのまま眠りました。
朝8時に北京に着くそうです。眼が覚めると、もう7時でした。私は起きて、身の回りの荷物を整理して、暖かいミルクを買って、飲みながら、窓を越して、外の景色を眺めていました。沿線はほとんど雪が降っていました。白っぽい野原しか何も見えませんでした。みんなまだ寝ているのに、車両管理の姐さんは入ってきて、「サーサー」と窓のカーテンを開けてしまいました。まぶしい日差しは寝ている人たちの顔に照らしていました。
もう8時近いのに、なぜ起きていない人は多いでしょう。なるほど、私の時計は日本の時間でした。1時間早かったのです。
北京に着きました。重いスーツケースを出して、悩んでいるときに、一人の若者は「持ってあげようか」と近づいてくれました。まるで救世主のようで、迷いも無く「お願いします。」と答えました。
この行動は実に大胆でした。悪い人なら、荷物を持っていかれてもおかしくないはずです。
北京の駅内の地面でもでこぼこです。とにかくスーツケースを持っちゃいけないところです。
駅から出ると、ちょうど朝ラッシュの時間です。目の前のタクシー駅には人が長い列を並んでいました。「地下鉄なら、一番早い」と彼は言い出しました。「地下鉄?」
ホテルの住所と名前しか知らない私は一人で地下鉄に乗るのは到底無理なことでした。「目的地まで送ってくれませんか」と彼に頼みました。
私は荷物を見て、お金を彼に渡して、チケットを買ってもらいました。チケットはいくらか分かりませんが、彼はお金をそのままで返してくれました。
とにかく人はいっぱいでした。地下鉄なのに、荷物のチェックもしました。私はとにかくわけが分からなくて、必死に彼についていただけでした。
ホテルの近い出口から出ると、もう少しと言われていても、ずっと歩いていたような感じでした。
やっとある軍隊のホテルに着きました。(普通に泊れないとこです。)
格格おばちゃんがそこで待ってくれました。「彼が送ってくれました。」と言ったら「危なかった!」と格格は声を上げました。また笑顔でその若者に「ありがとうございました。」
格格は人の名前ではありません。中国の皇室のお嬢さんの呼び方です。この格格様について、是非紹介させていただきます。次回「私は見ていた中国の皇族」をお楽しみしてください。
中国の火車はもう二度と乗りません。
2010年10月9日