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2011.11.13 中国での三日間の集中レポート③

時間はすでに昼に近づいてきました。じめじめさんの車に乗ったら、「あなたがすばらしい女性と聞いていましたが、ずっと会って見たかったです。大連に200平米ぐらいのマンションを持っているだっけ・・・・日本のカメラがいいですね・・・・」と電気製品までほしいということです。

町のうわさが何処まででしょう。この町を離れて15年もあるのに、今でも私についてのうわさが絶っていません。今の中国では共産党の幹部は成績で評価されます。どれほど経済を発展させるだけです。どれほど不合理的で環境を壊しているかを問われていません。庶民は全てお金で人を評価します。

日本人はよく平気でお金がないと言えますが、中国人は決して口に出しません。持っていなくても、持っているふりをします。私はお金を持っていないと言っても、地元で誰も信じてくれないでしょう。この社会では人に相手にされるために権力を持つか、お金を持つかどちらかということです。今回は市長が特命を出してくれなければ、私はどんなお金を使っても、戸籍を戻せないでしょう。特命を出してもらった以上、1元でもこの人たちに無駄使いをしたくありません。

ここで我慢しなければ、また時間を無駄にされるし、友達にもさらに迷惑をかけてしまうかもしれません。私は無言のままに隣の町に着きました。そこのパソコンを借りて、入力を始めましたが、じめじめさんはなんとピンインを打てなくて、漢字の変換はできません。(私の日本人生徒たちも出来るのに・・)町の名前さえも入力できなかったのです。

こんな人はパソコンの管理をしています。私の戸籍証明書を何回も書いてもらったのに、いつも違う内容を書きました。今回は「日本へ留学」ではなく「日本へ定住」と書きました。ハンサムさんはなんとかしてくれなければ、また1日無駄にされてしまうでしょう。

これだけではなく、いろいろな話が割り込んできて「今の時間は残業ですね、日本では残業はお金を払わないの・・・」どうしてもお昼をご馳走させたい、あるいは何かもらいたいということでした。残ったワンカートンの日本のタバコは大連に忘れました。あのタバコさえがあればこんなじめじめな話を聞かなくてもすむのに・・・・やっと私の名前が父と母の戸籍帳に印刷されました。

じめじめさんはすぐに書記に電話しました。「今出来ましたよ、彼女をお昼にご馳走しますよ。」私はすぐに電話を渡してもらって、「全て私のほうでちゃんとやっていますから、ご心配はいりません。」と書記に迷惑をかきたくなかったからです。私はカバンから200(約2700)を取り出して、「お昼は付き合うことは出来ませんが、少ないですけどこれをお昼に使ってください。」と言いながら「あなたのような人間と食事すれば、太陽が西側から昇ってくるときです。」と心でつぶやいていました。(中国の諺)

じめじめさんはお金をカバンに戻してくれました。大人ですからこのぐらいの遠慮があるでしょう。私はこれ以上薦める気もなく、タクシーに乗って、逃げ出しました。12時過ぎました。

午後2時に、また公安部に行って、写真を撮り、身分証明書を作らなければなりません。

担当者は私と昔に何回も面識があり、家族のこともよく知っているため、笑顔満面で迎えてくれました。

ここのカメラはスイッチを押す前に、画像が見えないらしいです。そのために繰り返し取られました。担当者は「どうしますか、今日はほしければ、市(瓦房店市)に取りに行きますよ。」と言いました。ここで写真を撮って、市で証明書を発行することになるのです。往復で2時間かかるところです。

私は義理の兄を廊下に呼んで200元を渡して、「私から直接に渡すと、彼が気まずいから、兄さんから渡して」と小さい声で話しました。私の一人の身分証明書のために、取りに行ってくれるから私のための特務です。交通費含めてこのお金を払うべきだと思っていました。彼は正式の公務員ではなく、日本の派遣社員のようなものなので、じめじめさんより姿勢が低く、頭がいいです。やってくれれば、必ずお金を払うのを承知しているからです。

午後の5時に、ベッドに横になっている弱弱しい(お腹が壊したから)私はまた義理の兄に呼ばれて、「写真をもう一度撮らなければなりません、前の写真が合格できなかったそうです。」「冗談じゃないよ、ただの臨時の3ヶ月の身分証明書のために、あの写真はだめでしたか?」(正式の身分証明書は3ヶ月もかかるそうです)と全身の力を絞って声を上げました。

しょうがなく兄の車に乗って、公安部に入って、もう一度写真を取らせられました。帰りに兄は「写真の不合格はうそかもしれません、市に1回往復だけで200元ももらうと、彼は気持ちがちょっと重かったかもしれませんね。」と言っていましたが、私は無言のままで話す力はありませんでした。

次の日26日の8時半に、義理の兄は公安部から身分証明書を取ってくれました。日本へのビザは難しかったですが、この身分証明書を再び手にしたのはそう簡単ではありませんでした。私は9時の大連へのバスに乗り、父と義理の兄の見送りで大連に向いました

 以上の3日間の出来事をありのままに書きあげました。

2010年9月10日

  

 

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