2011.11.13 中国での三日間の集中レポート①2010年9月
今回の里帰りは12日間のうち、3日間の経験を書き下ろしました。中国に興味を持っている方々のために特別に発信させていただきます。長いので3回で分けて発信します。暇つぶしとして、読んでいただきたいです。
私は日本に留学してから、中国では戸籍を削除されました。完全に帰国してから、パスポートを返して、戸籍を戻すことになります。こういう政策でした。たいていの人は国籍を変えるか、永住権を取るかにしています。私は国籍を変えるつもりも無く、永住権を持っていない人間なら、面倒なことが多いです。
私の地元では、それまで海外に留学できたのは私一人だけでした、前例はないから、戸籍は無くても普通ということは誰も知らないようです。政策だということは何年前に始めて知りました。戸籍証明書や独身証明書などが必要になるときに、家族はいつも担当の公安部の人にタバコを買ってあげたり、ご馳走してあげたりして、何とか特別に出してもらっていました。
この二三年ぐらい、パスポートだけで、いろいろな機能がなくされてきました。例えば、パスポートで、口座を開けない、人民元に両替できない等等。
私の我慢は限界です。今年の7月の大連の政府に3通の手紙を出しました。その中の一通は大連市市長に。これまでに苦しめられた経験と何とかしてほしいという内容でした。
2週間後、大連から電話が入ってきました。「いつでも手続きが出来るので、大連に帰ってきたとき、こちらに来てください」「やった!」
8月19日に私は何の変化が起きていないうちに急いで大連に帰りました。23日に資料を用意して、大連の郊外にある「出入管理処」に向いました。大連にはこのような機関があるなんてはじめて知りました。日本の外国人管理局のようなものです。
経済の発展につれて、外国人の出入りと中国人の出入りが増えたからです。しかし大連は一番かかわっているのは日本です。そこで日本人と日本人の配偶者はよく見かけました。
日本のタバコ2カートンを担当のハンサムさんに渡しました。(彼の名前は帥であり、中国語ではハンサムの意味です)「たいしたものではありませんが、タバコを吸う同僚達に分けてください。」こう言うと、ハンサムさんが同僚の前で受け取りやすいからです。これは空港で買ったもので、ワンカートンが2000円で安いです。少し中国に持っていけば、色々なところで役に立ってくれます。
資料は足りなくて、また戸籍証明書は必要となります。地元にいる義理の兄に頼んで、「どうしても今日中に出してほしいです」。しかし、今回はタバコだけですまずに、本人じゃないと出せないということになりました。ハンサムさんも電話を取り、
「今回の件は、夏市長は特別の許可したもので、協力してもらえませんか?」と交渉した結果「委託書」をファクスにしたことになりました。
そのとき、ハンサムさんの上司が入ってきました。「董翠さんが誰ですか?」私はあわてて立ちました。「あなたは大連の有名人になったじゃないですか、董翠さんが来たと聞いたら、どんな人か会ってみたいな。私たちの政策は完璧ではありませんが、人情がありますよ、直接に来ればいいのに・・・・」
「こうしなければ、あなた達は私のような農民の娘の相手にしてくれるわけはないでしょう」と私は心でつぶやいていました。どういう状況だったか知りませんが、私の手紙の振動力が大きかったようです。
午後2時半大連の「長距離のバスの駅」で、実家からのバスの運転手さんから「戸籍証明書」をもらって、3時半に管理局に滑り込みました。(閉門時間は4時半)
今度写真を撮ります(30元)。日本の場合は、自動機械一台ですが、そこにはせめて4,5人ぐらい働いています。変なのは、髪型が前で後ろの髪の毛を全部見えないようにして、服も用意してくれたものしか着れません。更衣室に襟が付いているシャツ2,3枚と背広2枚しかありませんでした。
みんな順番で着ます。汚くて、息を呑んで着ました。どうしてこんなのが必要か理解できません。カメラマンの指示通りに、私たちの姿勢を正す専任役に散々頭を動かされて、指名手配のような写真を取られました。それを持って急いでハンサムさんに部屋に入りました。
4時でした。「資料が全部揃って、あとは上司の許可を待つだけです」
「待つ?いつまで待ちますか。今日は出来ませんか、4時半まででしょう。」
「このようなことはね今日か、明日か誰も決めていません。上司はもう上着をきているのに、私はその上着を脱いでくださいと言えません。出来るだけ上司を催促することだけを言えます。何ヶ月も何年も待っている人もいますよ。」
「じゃ、ハンサムさんに任せます。」ハンサムさんはきっと悪くない公務員だと私は思っています。では次回を楽しんでください。